2021年2月15日月曜日

真夜中の震度5強

                              

「10年がたとうとしているのに、またか」。東北地方太平洋沖地震を体験した人間は、だれもがそう思ったに違いない。

 おととい(2月13日)の夜11時7分ごろ、福島県沖でマグニチュード7.3の大地震が発生した。「3・11」の余震だという。

 3・11からちょうど1カ月後、いわき市南部で直下型の地震がおきた。震度は6弱だった。本震のときのいわきの震度と同じだ。今回は最大震度が6強、いわきは5強。いわきでは6弱に次ぐ最大規模の揺れだった。

 きのう(2月14日)のブログと一部重複するが、わが家では、階段に平積みにしておいた本が下までなだれを打って崩れた=写真上1。2階でもやはり平積みにしていた本や資料が崩れて散乱した。

 ひとわたり家の中を見て回ったら、落下物はほかにはあまりなかった。3・11を経験したことで、片付けにどの程度の時間と労力がかかるかは、だいたい見当がつく。寝不足が一番こたえる。動くのは夜が明けてから。万一の断水に備えて風呂に水をため、プロパンガスが使えることを確認して、寝床に戻った。

 近所の故義伯父の家は、カミサンがすぐ様子を見に行った。整理ダンスの上に置いていた花瓶が落下したが、割れずに立っている=写真上2。カミサンが“奇跡”を喜んでいた。残りは夏井川渓谷にある隠居だ。朝食後、県道小野四倉線が通行止めになっていないことを確かめて出かけた。

3・11のときは渓谷のあちこちで落石があった。このため県道が通行止めになった。隠居へは迂回路=国道399号~母成(ぼなり)林道~江田=を利用した。県道と並走する磐越東線もしばらく運行が止まった。

 ところが、母成林道は一昨年の台風19号で土砂崩れが起き、いまだに通行止めのままだ。動脈の県道が通れなくなると、隠居へは国道49号~同349号と大きく迂回しないとたどり着けない。

 それが心配だったが、さいわい落石などはなかった。隠居に着くと、目を疑った。上の庭に置いていた焼却用のドラム缶が下の庭のはじっこまで転がっている=写真上3。家の中は? 意外と被害は少なかった。柱時計のふたが開き、台所の食器棚のなかでコップが割れ、茶わんがガラス戸に引っかかっていた。食卓ではワイングラスが1個、倒れて割れていた。

福島県沖が震源とはいえ、今回は北部の相馬市などで被害が大きかったようだ。常磐道の相馬ICの北3キロ地点でのり面が崩落、上下4車線が土砂で埋まった。相馬市は震度6強だった。6強と5強の揺れの違いをまざまざと見せつけられた。同じいわきの平でも、中心市街の揺れがきつかったようだ。

「1000年に一度の巨大地震」はまだ収束していない。10年たっても、さらにこれからも余震が続く。10年という歳月を「「きのう・きょう」の感覚でとらえないといけない。つまり、「あのとき」のことを回顧するレベルではない、ということだ。自然は寛容だが、一方では「これでもか、これでもか」とたたみかけてくる。それを思い知った。

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