おととい(2月23日)の夜、BS日テレで「松本清張スペシャル・鬼畜」を見た。<火曜サスペンス劇場1000回突破記念作品>と銘打ってある。主演は若いときのビートたけし。ずいぶん前に放送されたものだろう。
ふだんサスペンスドラマは見ない。しかし、正月にイタリア在住の知人(カミサンの高校の同級生)から、メールで現地の新聞切り抜きが届いた=写真。松本清張(1909~92年)を紹介する記事で、見出しに「シムノンに似た日本のサスペンス作家」とあった(知人の翻訳による)。
シムノンは、ごぞんじ「メグレ警視」のジョルジュ・シムノン(1903~89年)。清張とは同時代のフランスのサスペンス作家だ。
「清張は日本のシムノン」。頭の中で組み立て直し、なぜそうなのかを探ってみた。「巣ごもり」が基本のうえに、コロナ禍で関係する団体の催しなどがあらかた中止になった。自由に使える時間が増えた。それを調べものに充てている。
シムノンは読んだことがない。図書館から彼の『家の中の見知らぬ者たち』『片道切符』『小犬を連れた男』を借りてきた。『片道切符』はアンドレ・ジッドがカミュの『異邦人』より優れていると評価した作品だ。人を殺(あや)める犯罪小説には違いないが、登場人物の心理描写が複雑で読みごたえがある。
一方の清張は、15歳の夏休み、高専から阿武隈の山里へ帰省して読んだ『点と線』が最初だった。東京駅ホームの4分間の空白をついた時刻表のトリックに強烈な印象を受けた。当時から超売れっ子の作家だったが、あとはそんなに読んだ記憶はない。
今年(2021年)になって、イタリアからのメールで清張がよみがえり、シムノンが“降臨”した。そこへ、タイミングよくテレビで「鬼畜」が放送された。
ドラマを見ながら、読んだばかりのシムノンの『片道切符』を思い出していた。どちらもとことん人間の“鬼畜”性を描いている、という点では、2人の作風は似ている。そう、「清張は日本のシムノン」「シムノンはフランスの清張」と納得がいった。
最初、サスペンスもミステリも推理小説も同じだと思っていたが、ウィキペディアではちゃんと区別している。「ミステリや推理小説と混同されがちだが、これらは推理を楽しむ物語」「サスペンスは現実に基づいた人間の起こす」物語。清張もシムノンも「推理作家」でくくろうと思ったが、それではあまりにも雑過ぎる。少々わかりにくいかもしれないが、イタリアの知人の言葉に従って「サスペンス作家」で通した。
繰り返しになるが、人間の心の奥底には“鬼畜”性が眠っている、という恐れは抱いていた方がいいのかもしれない。
ついでながら、清張を取り上げた新聞を欄外の文字から探ってみた。「ラ・レプッブリカ」の<文化>欄だった。中道左派の日刊紙で、イタリアではトップクラスの発行部数を誇る、とか。ほんとうは、それよりも記事の中身を知りたいのだが。
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