図書館の本棚を眺めていたら、遠藤宏之『地名は災害を警告する――由来を知りわが身を守る』(技術評論社、2013年)に出合った=写真。東日本大震災を機に、風水害や地滑り、将来必ず起きる南海トラフ巨大地震も視野に入れて編まれた本のようだ。
きょう(2月11日)は「3・11」から9年11カ月の月命日。満10年のカウントダウンが始まるのに合わせて、少し中身を紹介する。
いわきは東日本大震災のほかに、令和元(2019)年10月12~13日、台風19号による水害に見舞われた。気象庁はこの台風を「令和元年東日本台風」と命名した。
わずか10年にも満たない間に生死にかかわる大災害が連続した。海岸堤防や河川堤防、急斜面のコンクリ―ト吹き付けなどに安心しきって、自分が暮らしている場所の地質や地形、歴史などを知らないできた。それでは自分の身を守れない。そういった市民のために書かれたのがこの本、といってもよい。著者は地図会社で地図作成に従事した地理空間情報アナリストだという。
いわきにも関係する地名で、これはと思ったものをピックアップする。
「女川」や「小名浜」の「オナ」は、もともとは荒々しい波を意味する「男浪(オナ)」が由来で、過去に津波被害を受けていることを示唆しているという。
「釜石」や「鎌田」「原釜」などの「カマ」は、古語の「噛ム」に通じ、津波によって湾曲形に浸食された地形を表しているとか。平の鎌田は縄文海進の時代には海と接していた。それを物語る貝塚がある。その痕跡かどうか、夏井川は鎌田でいきなり湾曲する。
「クボ」(窪・久保など)は窪地で、水のたまりやすい場所の意。水害地名だという。カミサンの実家は「久保町」、結婚直後に住んでいたところが「下平窪」。平窪地区は令和元年東日本台風で甚大な被害に見舞われた。
「四倉」の「クラ」はえぐられた土地をあらわすという。沿岸部では津波地名になる。その四倉に「塩木」(シオキ)がある。
次の文章は大須賀筠軒の「塩木村誌」からの引用。「耕田寺縁起を按スルニ永正年間海嘯アリ近隣諸村併セ民家悉ク流滅ス。天文ノ頃海嘯猶ホ来る故ニ潮来(しほき)村ト名ツク後轉ジテ塩木村ニ作(な?)ルト云フ」
塩木は仁井田川河口から1キロほど上流の内陸部にある。昔、そこまで海嘯(かいしょう)=津波が押し寄せた、つまり潮が来たので「潮来村」と名づけた。その後、「塩木村」となったことを伝える。
遠藤さんは動物地名にこそ災害地名が隠されているともいう。「ウシ」は「古語の『憂シ』から不安定な土地を意味する地名で、地滑りや洪水氾濫地を指す他、津波常襲地につけられていることも多い代表的な災害地名」なのだとか。
夏井川渓谷のわが隠居は「牛小川」という集落の一角にある。Ⅴ字谷なので渓谷では落石はいつものこと。台風19号が襲来したときには、沢で小規模な土石流が発生した。「小川」自体も「男鹿(オガ)」と同じ崩壊地名で、地滑り地・崩壊地・土石流危険地を示すという。
同じ渓谷の江田は水害地名だそうだ。河川の合流点、河川沿いの湿地などを指す。実際、夏井川に支流の江田川(背戸峨廊=セドガロ)が合流するところに江田の集落がある。
地形分類図によれば、平地のわが家は前の道路を含めて夏井川の旧河道があったところだ。大雨になると家の前の歩道がたちまち冠水するのは、そのためか。
身近な地域の地名から災害の歴史を読み解く。そこから自分の命を守る知恵を磨いて行動に結びつける。とはいっても、安全なところはないくらいにどこでも災害が起きる。それを前提にして「新しい生活様式」を組み立てるしかないようだ。
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