2021年2月23日火曜日

庭に春がきたと思ったら

        
 土曜日(2月20日)の夕方から体調を崩し、日曜日は午後を除いてあらかた床に就いていた。風邪の原因物質が腸にきたらしい。この間、といっても2日間だが、飲むのを控えた。月曜日のきのう(2月22日)、目覚めると汗をかいていた。それで頭も体もすっきりした。

きょうは一日遅れの日曜日――。そう自分に言い聞かせたとたん、週明け最初の「燃やすごみの日」なのに、ごみネット出すのを忘れた。カミサンが代わって出した。そのことを言われて初めて気がついた。

 普通に朝ご飯を食べ、普通に“在宅ワーク”を始める。先日、明治28(1895)年に、江名・豊間・薄磯・沼之内まで虎列刺(コレラ)が蔓延したため、沼ノ内に隣接する平・下高久で大字の有志が発起人になり、鎮火祭式と大般若経転読会(え)を執り行って大字内の安全を祈った、という史料を紹介した。

その流れで『いわき市史 第6巻 文化』編の「医療」を読み返していたら、幕末から明治にかけて活動した医師の一人に、同じ高久の「青島貞」がいた。

それに気づいて間もなく、下高久に住む同じ名字の後輩がやって来た。聞けば「本家の先祖」だという。そこからいろいろ“取材”を進める。漢方医だった。本家は後輩の家の隣にあった。ルーツは武田信玄~徳川家康とつながり、笠間藩にも関係するらしい。

後輩の家には「薬箱」だけが残っている。それはそれで貴重な遺品だ。家系図があるようだから精読して教えてほしい、ついでに薬箱の写真を撮らせてほしい、と頼む。ちょうど後輩の畑からもらってきた白菜が漬かったので、二切れを進呈した。

彼が帰ったあと、あらためて『いわき市史』を読んだ。青島貞がもう2カ所に出てくる。明治の初期、磐前県病院が平にできる。この病院で、コレラ鎮めに関係した下高久の松井玄卓(謹)らとともに、青島貞が医員として勉学した、とある。さらに、「医術をもって官庁および官公立病院に奉職したものは、無試験開業を許された」とあって、そのなかの一人として青島貞が紹介されている。

きょうはここまでだが、いい宿題ができた――。私の調べものはいつも、なにかの途中に即興で始まる。宿題がエンドレスなので、なにもやることがない、ということがない。

夕方は「一日遅れの日曜日」という理屈で、いつもの魚屋さんへ刺し身を買いに行った。若だんなが目を丸くして、「きのう(日曜日)だったら、カツオはなかったんです。吉田さんがきたら、どうしようかと思っていました」という。いやあ、一日遅れでよかった、今回は。

家に帰ると、庭のジンチョウゲが開花しているのが目に留まった=写真。スイセンも何輪か咲いた。確かにきのうは山田町で最高気温が22.5度に達し、早いうちからヒーターと石油ストーブを止めた。この陽気に誘われて、一気に庭にも春がきたのだ。

ジンチョウゲの花に近づくといい香りがした。色と香りが戻ってきた。2週間ぶりのカツオの刺し身が、3日ぶりの焼酎がうまかった。

きょう、2月23日は天皇誕生日。実は去年(2020年)からそうなっていることを忘れていた。祝日が増えたわけではない。その分、得をしたような気分で、家で静かにしていようと思う。きのうの春から一転、気温が急降下し、日中は10度前後で推移するらしいから。あす(2月24日)はさらに気温が下がるという。風邪がぶり返さないようにしないと。

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