今年(2021年)の冬は前の年より寒気のきつい日が多かった。雪で地面がうっすら白くなることもあった。コロナ禍に“厳冬”が加わって、外出回数が極端に減った。
「コロナ感染を避けるためにステイホーム(巣ごもり)を」といわれても、もともとが“在宅ワーク”の身。「生活様式」は変わらないが、区内会その他、関係する団体の行事があらかた中止になった。
外出はスーパーでの買い物、コンビニでのコピーのほか、いわき駅前にある総合図書館の利用と月3回の回覧資料配り、その程度だろうか。日曜日に夏井川渓谷の隠居へ行くのは、むしろ人込みを避けてわれに返るようなものだ。
カミサンは、日中は店(米屋)の仕事場兼文庫にいる。私が用事で外出していれば、茶の間のヒーター・石油ストーブ・電気マットは使わないですむ。ずっといるものだから、灯油の減り方が早い。きのう(2月8日)も車にポリタンク4缶を積んで灯油を買って来た。
土曜日(2月6日)の新聞に、2020年分の家計調査結果が載っていた=写真。「コロナ禍で家庭が使ったお金が減り、使い道も大きく変わった様子」がうかがえるという。
支出が増えたものはマスクなどの保健用消耗品、ゲームソフト、家飲み用のチューハイ・カクテル、パソコンなど。逆に減ったものはパック旅行費、映画・演劇入場料、鉄道運賃、外食の飲酒代などだ。
確かに私自身、平の飲み屋街(田町・白銀)に行く回数がゼロになり、家飲みが増えた。巣ごもりの時間が増えて遠出しなくなったために、ガソリンの消費が減った。そんな暮らしの変化を実感している。
しかし、記事が伝えるように「新しい日常」が浸透して消費が落ち込んだだけなのか。私にはどうもそうは思えない。コロナ禍による「収入減」が抜け落ちていないだろうか。
1人10万円の「特別定額給付金」が届いた去年(2020年)5~6月ころのことだ。古紙回収の手伝いをして生活費を工面していた中年男性がいる。中国の輸入規制とコロナ禍で古紙回収が止まった。たちまち暮らしに窮した。米がなくなった。スーパーでは、ツケはきかない。結局、地域の米屋へかけこむしかなかった。
コロナ禍は業種や世代を超えて、地域の隅々にまで影響を及ぼした。しかも世界同時進行だ。コロナ倒産が増え、事業規模が縮小し、非正規から雇い止めが行われる。残業が減る。暮らしの最前線に身を置いていると、そんな庶民の悲鳴が聞こえてくるような思いになる。
だからどうしても、「コロナ禍で(収入が減り、それに伴って)家庭が使ったお金が減」った、というふうにしか読み取れないのだ。
土曜日は日本列島を高気圧が覆った。風もなかった。午後、気温が上がったので、初めてヒーターと石油ストーブを消し、電気マットもオフにした。この冬初めて感じた春のぬくもりだ。いや、春のぬくもりを言う前に、燃料費が浮く――そう思った。
コロナ禍と“厳冬”で家計がいちだんと厳しくなった。無意識のうちに、季節の移り行きそのものよりも燃料費の問題が頭にあったらしい。
そういえば、後輩は広い畑の一角に剪定・伐採木を利用した薪(まき)を山のように積んでいる。それを使わない手はない。「薪ストーブを自作したい」と言っていたっけ。
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