アナキズムは「無政府主義」と訳される。暴力や破壊のイメージがつきまとうので、今までは敬遠していた。
草野心平は「昭和はじめに輩出したアナキズム系の詩人の中では目立った存在」(秋山清)だ。彼の仲間もまた「アナキスト」や「詩的アナキズム」といった言葉で語られることが多い。それでも、作品がすべて、思想面から彼らを調べようという気にはなれなかった。
岡山大准教授松村圭一郎さんの『くらしのアナキズム』(ミシマ社、2021年)を読んで、蒙が啓(ひら)かれた。
本の帯に「アナキズム=無政府主義」というとらえ方を覆す論考、とあった。では、どんな訳がいいのか。私案だが「アナキズム=相互扶助主義」ではどうだろう。これなら本来の意味や目的が浮かび上がってくるのではないか。
年明けに『くらしのアナキズム』を紹介しながら、いわき市好間町川中子(かわなご)出身の詩人猪狩満直(1898~1938年)について書いた。
満直は、北海道での開拓生活を断念したあと、当時の内郷村小島に住んで「共同田植え」を実現した。この「相互扶助」こそが「くらしのアナキズム」の実践だった、と納得がいった。
『くらしのアナキズム』からいくつかを紹介する。大災害が起きる。「行政機能が麻痺し、消防も警察も、コンビニもたよれないとき、どうしたらいいのか。たよりになるのは、隣にいるふつうの人だった。不測の事態を打開する鍵は、大きな組織ではなく、小さなつながりにある」。区内会の役員をやっているのでよくわかる。
「鶴見俊輔が定義したように、アナキズムは『権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想』だ」
これと通じるのが台湾のデジタル担当大臣、オードリー・タン(唐鳳)の考えだろう。タンは「保守的アナキスト」を名乗る。
「さまざまに異なる価値観が混然としていて、『ひとつの正しさ』が押しつけられることのない、強制から解放されたアナキズム。それが実現するには、だれもが安全だと感じる居場所が必要だ。そうタンは強調する」
この文脈で「アナキスト猪狩満直」をとらえ直してみたらおもしろい。すると、天啓のように旧知の満直の末娘M代さんから電話がかかってきた。
昭和49(1974)年発行の秋山清編『アナキスト詩集』(海燕書房)=写真=と、同52(1977)年発行の伊藤信吉『逆流の中の歌――詩的アナキズムの回想』(泰流社)が家にある、資料としてどうぞ、ということだった。
早速、自宅へうかがって2冊を借りた。『アナキスト詩集』に作品が収められた詩人は満直をはじめ萩原恭次郎、岡本潤、小野十三郎ら10人。『逆流の中の歌』にも満直が登場する。
後日、M代さんからまた電話がかかってきた。『学校詩集』(心平らが発行した詩誌「学校」の年刊詩集)もあるという。これもいずれ借りる約束をした。
強制から解放された相互扶助――。この本の貸し借りや読み解きも、考えようによっては「くらしのアナキズム」だ。
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