ガラケーからスマホに切り替えてちょうど2年になる。そのときの顛末はこんな感じだった(拙ブログから)。
令和2(2020)年2月――。「2月末でポイントが失効する」「修理受付が終了となる」。矢継ぎ早に封書が届いた。予約した時間に夫婦で店へ行って、ガラケーからスマホに切り替えた。
ガラケー自体、電話できればいいのだからと、簡単なものにした。スマホも同じ。通話第一でいい。夫婦で説明を聴き、必要な初期設定をしてもらい、使い始めた。
インターネットにつないで、検索もしてみた。このあたりはノートパソコンで“在宅ワーク”をやっているので、なんとなくわかる。大きくて重いノートパソコンがてのひらに納まった感覚だった。
カメラには「花認識モード」がある。カシャッとやったらAIが候補の名前を出してくれる、とある。キノコはどうか。移動図書館から借りた佐久間大輔著『きのこの教科書――観察と種同定の入門』(山と渓谷社)を読んでいたら、スマホを利用した撮影法が載っていた。デジカメと併用しよう。
そう考えたのはいいが……。いまだに実行していない。やはり花も、キノコも、鳥も、写真は今まで通りデジカメに頼っている。
結局はほとんどが通話に使うだけ。そして、たまにショートメールをのぞくだけだ。そんなわけなので、いつも充電が後回しになる。
ホーム画面の下にはバッテリーの容量を示す乾電池のマークがついている。充電する習慣が身についていないので、マークもたまにしか見ない。「残り電池がわずか」。画面に表示されて初めて、あわてて充電器を取り出す。
日曜日の朝、スマホの充電マークがかなり減っていた。これは夏井川渓谷の隠居で充電するしかないか。
初めて隠居に充電器を持ち込んだ。充電器をコンセントに差し込みながら、スマホを忘れないこと――そう自分に言い聞かせる。
隠居ではこれまで何回か、泊まり込みでミニ同級会を開いてきた。そのとき、首都圏に住む1人が充電器を床の間のコンセントに差し込み、ケータイごと忘れて帰ったことがある。
途中で彼はケータイを忘れたことに気づいた。隠居にはもう誰もいないだろう、ここは私の家に電話をかけるしかない。結論からいうと、それが正解だった。電話を受けたカミサンが私のところへ連絡して、わが家で彼にケータイを渡すことができた。
それが頭にあったものだから、出窓のコンセントに充電器を差し込んだ=写真。そこにはラジオの電源プラグを差し込んでいる。隠居を離れるときには必ずこれを抜く。スマホを忘れることはない。
ま、こんな調子だから、「スマホ歩き」はしたことがない。する気もない。手のひらの画面ではなく、人間を包みこんでいる空を見る、光を、風を感じる。渓谷が、街が発する情報を全身で受け止める。やはり、これが一番。
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