2022年2月10日木曜日

古いメモ片

                      
   この何日か、カミサンが急に思いついたように、学生時代のアルバムや古い郵便物に目を通していた。

郵便物の入った収納かごや小さなボックスがいくつかある。ふだんどこにしまってあるのか、私は知らない。

カミサンへの手紙やはがきだけではない。私らが結婚し、長男が生まれたころに友人たちと交わした年賀はがきなども交じっている。

先日、カミサンの学生時代からの親友が急逝した。若いころの手紙やはがきを読み返しては、親友をしのんでいたのだろう。

それが一段落すると、風向きが変わった。残しておくものと捨てるものを分けて――。高専の同級生や先輩、職場の仲間からの賀状だけではない。中学校の国語の恩師のはがきがある。儀礼的なものだけをはずしてくずかごに入れた。

工学系の学校に入ったが中退して上京し、やがてJターンをしていわき民報の記者になった。東京生活に区切りをつけて詩集を出したら、県内の詩人とつながりができた。

そのなかに中学校の先生がいた。同じ職場に国語の恩師がいて、中学校以来の音信が復活した。恩師のはがきは捨てられない。画家の松田松雄の年賀はがきなどはむろん残す=写真上1。

そもそも、前に一度ふるいにかけているのだ。それをさらに振り分けようというのだから、限度がある。

私の古いメモ片も出てきた=写真上2。現役のころはよく田町(平の飲み屋街)に通った。止まり木でしゃべっているときに限って面白い話が出る。次の日はしかし、すっかり忘れている。

で、心がけるようにしたのが職場の原稿用紙(ザラ紙)や飲み屋の箸袋にキーワードを書き込み、シャツの胸ポケットに差し込んでおくことだった。

キーワードから新聞のコラムを書くこともあった。未使用のキーワードはそのまま胸ポケットに眠っている。会社を辞めたあと、それらのメモ片をどこかにしまっておいたらしい。

こんなメモがあった。「『生涯学習』なることばを日本で最初に広めたのはいわき出身の女性……アメリカへ留学」

もう一つ。「ホソメコンブは昭和の初めごろ、独航船が出漁し始めたころからみられるようになった。『ホソメの種が独航船についてきたのでは』と浜の古老。嵐のあとよく打ち揚げられる」

真偽はともかく、まずはメモをする。そこから調べを始める。ニュースにならなくとも、コラムのネタになるものがある。いや、ニュースになる可能性がゼロではない。胸ポケットはいつもメモ片で膨らんでいた。

このメモ片は一度くずかごに入れたのだが、半日たってまた拾い上げ、座卓の資料のそばに置いてある。

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