図書館から井筒清次『「団塊世代」の生活誌――昭和三十年代を中心に』(アーツアンドクラフト、2022年)を借りて読んだ=写真。
団塊の世代とは、第一次ベビーブーム世代=昭和22(1947)~24年生まれの人間のことで、作家・評論家(元官僚)の故堺屋太一が命名した。私はそのど真ん中、昭和23年に生まれた。子どものころを回想した拙文がある。まずはその抜粋を。
――昭和33(1958)年4月5日、土曜日。プロ野球が開幕する。読売ジャイアンツの相手は国鉄(現ヤクルト)スワローズ。新人の長嶋茂雄がデビューするというので、家(床屋)のラジオの前に陣取った。9歳4カ月。4月から小学4年生になったばかり。とはいえ、学校は始まったか、春休み最後の土曜日だったか、記憶は定かではない。
相手のピッチャーは金田正一。終わってみれば、長嶋は4打席4三振。金田の速球と大きく曲がるカーブにきりきり舞いさせられた。
テレビが普及する前だ。ラジオは子どもにとっても身近な娯楽メディアだった。アナウンサーの声を介して、球場の雰囲気を、金田と長嶋の表情を想像する。しかし、三振、また三振、またまた三振……。
同34年春には、『週刊少年マガジン』と「週刊少年サンデー」がほぼ時期を同じくして創刊される。春休みが終わって新学期が始まる、そんな時期の発売だった。
ラジオ、漫画、やがてテレビ。団塊の世代にたちまち新しいメディアが浸透する。幼年から少年に脱皮する時期と、高度経済成長期とが重なった。
「平凡パンチ」は昭和39(1964)年4月に創刊された。中学生たちがなじんでいた芸能誌の「週刊平凡」や「週刊明星」とは違った、ファッションや風俗、女性のグラビアなどを扱った若者向けの週刊誌だった。
阿武隈の山里から浜通りの中心都市、平市(現いわき市平)の高専に入学し、寮に入った。それと前後して「平凡パンチ」が創刊された。同級生がさっそく買い込んできたのを回し読みした記憶がある。――
以上のことはもちろん、『「団塊世代」の生活誌』に出てくる。しかし、なにかちょっと足りない。私のなかに強く刻印されているものが欠落している。
本は「団塊世代の原風景」「住まいと生活」「遊びに夢中」「楽しかった学校」「青春の光と影」「青春の終わりと始まり」の6章立てになっている。
章ごとに本とこちらの記憶を比較してわかった。本は東京・武蔵野市の昭和30年代がベースになっているのだ。都会と田舎。阿武隈の山里の昭和30年代とは微妙に違っている。
たとえば、内風呂。東京では内風呂が少なくて銭湯が全盛だった。山里にも銭湯はあった。しかし、そこへはたまにしか行かなかった。マキで内風呂を沸かすのが子どもの仕事だった。
本には、炊飯道具の蒸しかまどの記述はない。夏休みは、東京ではプール、こちらは近くの川で水泳ぎをした。そういった東京ローカル、阿武隈ローカルの差異が浮かび上がってきた。なにかが足りないと感じたのは。つまりはそこだった。
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