2022年2月8日火曜日

「蒸しかまど」調査

                      
 去年(2021年)暮れ、歴史学・民俗学を専攻する東京の大学院生から、フェイスブック経由で連絡が入った。

 「蒸しかまど」の歴史を調べている。私のブログや、ブログに紹介されている新聞記事が非常に参考になった。私が「蒸しがま」でご飯を炊いた経験があるという記事も読んだ。ついては、いわきまで訪ねて話を聞きたい――。むろん、断る理由はない。

 自分のブログをチェックしたら、「蒸しかまど」(蒸しがま)の言葉が出てくる記事が5本あった。

蒸しかまどそのものを取り上げたのは、平成30(2018)年7月19日付「『平町特産』の蒸しかまど」、同年12月13日付「蒸しかまどと近代考古学」、同31(2019)年3月21日付「図書館レファレンスサービス」の3本だ。ほかに、同27(2015)年11月28日付「ミニ蒸しがま」で、子どものころの炊飯体験をつづっている。

「『平町特産』の蒸しかまど」では、昭和7(1932)年1月13日付「常磐毎日新聞」に載った「小鍛式極東ムシカマド製造」の広告と、同10(1935)年6月29日付の同新聞の記事「平町特産のムシ竈製造」を紹介した。

まず、広告。蒸しかまどの図入りで、「新案特許」「本品にニセ物有」といった言葉が躍る。製造販売元は平・三町目の「小鍛治商店」(「治」は正しくは「冶」だろう。以下、「小鍛冶」と表記)。同商店は、今はない。

記事にはこうあった。平町で盛んに製造される蒸しかまどは、南は九州、北は北海道まで販路が拡張された。生産額は、昭和9年には1万2千個約4万円だったが、翌10年は製造業者も激増して倍加の見込み。

「この製造工業を平町特産の重要工業化すべく相當町が助成の方法を講ずべきであると一部の意見が有力化して居る」――。

年が明けた1月下旬、院生から再び連絡が入った。2月10~12日ごろにいわきの調査を計画している。さらにその後、10日午後、あるいは11日午前に、というところまで詰めたのだが……。タイミングが悪すぎる。

福島県に1月27日、「まん延防止等重点措置」が適用された。期間は2月20日までで、いわき市でも公共施設の利用制限や市主催イベント等の自粛など、「感染拡大防止一斉行動」が始まった。コロナの第6波が猛威を振るうなか、2月は避けよう、と申し入れたら了解してくれた。

 それからは短時間ながら、オンラインで「小鍛冶商店」の子孫に関する情報のやりとりをした。これはどうですか? 職種が違いすぎる、所在地も離れている、などとやっているうちに、昭和6(1931)年発行の「平町職業別明略圖」(コピー)があることを思い出す。

地図で店(「丸ほん」の向かい)を確かめる=写真。そこから推測できることも含めて、院生が平三町目の同名の人に連絡すると、子孫だった。商店のころの資料も少しは残っているようだという。なにか一気にモノゴトが前進したような気分になった。

 蒸しかまどの現物は夏井川渓谷の隠居にある。院生が来たときには隠居まで案内する。ホンモノは無限の情報を宿しているから。

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