仕事はオンラインになった。「巣ごもり」状態のなかで資料を整理していたら、借りている冊子が出てきた。返却しなければ――となったようだ。
こちらは忘れていたが、貸したのは「平の年中行事調査報告第1集」(いわき今昔ばなし実行委員会、2006年)と、いわきのフォト雑誌「prominence」創刊号(1989年)、同2号(1990年)、「いわきらんど」創刊号(1991年)の4冊=写真。いずれも民俗、芸能がらみの論考と写真が中心だ。
彼はこうした先行資料を読み込んで地域を見る目を鍛えてきた。人に会っておもしろい話を引き出す能力にもたけている。
昔、ある広報誌にディープな探訪記事が載った。筆力と文章の構成力に舌を巻いた。そのときのブログ(2013年8月22日付)から。
――レポーター・ミミちゃんが小川町を探索中に、ある話を思い出す。「本郷の表(おもて)組の人はキュウリを作れない」「作れないがらってウヂにもらいに来るの。理由は分がらない」。そこからスゴロクよろしく「胡瓜をめぐる冒険」、つまり聞き込みが始まる。
「表」は上小川の字名のひとつ。草野心平生家のある植ノ内とは道路をはさんで向かい合っている。心平が故郷の「上小川村」をうたった詩、<ブリキ屋のとなりは下駄屋。/下駄屋のとなりは……>の世界だ。その通りにある床屋のおばさんからレクチャーを受ける。「表が作れないんじゃなくて草野さんが作れないの」
あちこち転々としながら、キュウリ栽培を禁忌する草野さんの家にたどりつく。草野姓の家が作れないのではなく、「ウヂど、ウヂの分家は作らない」のだそうだ。そのワケは。
昔、馬車による運送業を営んでいた。明治時代に今の品種のキュウリが入ってきた。栽培して与えると馬が喜んで食べた。ところがその年、多くの馬が死んだ。以後、「キュウリを作るべからず」となったという。食べる分には問題がない。で、「ウヂにもらいに来る」という話になるわけだ。
なるほど。おもしろい「物語」だ。いや、「物語」になるまでよくまとめあげた。足を使えばこういう秀逸な読み物ができる。――
その後、筆者である彼を紹介され、たまに会うようになった。彼のユニークさは現実の世界に埋もれている「物語」を読み取れることだろう。新聞は「締切」という呪縛に支配されて、ある一定のところまでいくと取材を切り上げる。彼はとことん疑問がとけるまで歩き回る。
既成メディアがとどまったその先、あるいはもうひとつ深いところまで下りてネタを拾ってくる。それで、こちらが知らないでいた「物語」を提示する。それができるワケは……。
司馬遼太郎が豊臣秀吉を、「人誑(ひとたら)し」ではなく「人蕩し」と評してから、ポジティヴな意味に変わったと国語辞典編集者はいう。
聴く力を持った人蕩し――。彼と茶飲み話をしながら、何度もそんなことを感じた。彼と話していると楽しい。取材を受けたジイサン・バアサンも同じだっただろう。
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