きのう(2月15日)の続きといえば続きだ、「prominence」といういわきのフォト雑誌があった。平成元(1989)年に創刊された。「草のふとんにストン」という通しタイトルで私も1回目「鷹になる」を書いた。もちろん、写真を添えて。いや、写真を主に、「えとき」の文章を添えて。
そのころ、よく時間をつくっては石森山(平)を巡った。野鳥、野草、キノコ……。なんでも写真に撮り、メモをした。フィールドワークと自習を組み合わせて、いわきの中心市街地の里山を丸かじりすることに熱中した。
ある早春の午後遅く、絹谷富士に登ると、たまたま頂上の岩場で伝書鳩を捕食中の鷹と目が合った。「鷹になる」はそのときの体験をつづった。まずは文章を抜粋して紹介する。
――頂上の岩場に人間がヌーッと顔を出したから、そこを調理場兼食堂にしていた鷹は驚いた。食事を中断して反時計回りに一回半、人間を左に見ながら絹谷富士を旋回して絹谷方面へ遠ざかって行った。
頂上に立ってみると、鮮血のなかで鳩は首をちぎられ、両脚と翼を残して、胴体が消えていた。脚環には「87HH02……」とあった。
鷹の犠牲になったのは、なにも鳩だけではない。ほとんど人が歩かない遊歩道を巡っていると、時折、羽根が散乱している場所に出くわす。春先にはカケスが多かった。いや、カケスの羽根しかわからなかった、というべきだろう。
きょうもあなたの頭上はるか、青い空の深みで生と死のドラマが展開されている。その空から見ても、地上の出来事ほど不可解なものはない。――
「鷹になる」を引用しようと思ったのは、日曜日(2月13日)に夏井川渓谷の隠居へ行ったとき、「なんだ、この羽根は?」となったからだ。
隠居と風呂場の間に「坪庭」がある。風呂場からホースを伸ばして「洗い場」にしている。そこに鳥の羽根がまとまって落ちていた。
いや、落ちていたのではない。猛禽が鳥を捕まえ、坪庭まで運んで羽根をむしり取り、そこで食事をしたのだ。
鷹か? そう思った瞬間、石森山での生々しい体験がよみがえり、若い仲間に貸して最近戻ってきた「prominence」創刊号を読み返したのだった。
羽根は長くて11センチ。色はオレンジ色に先端が淡い黒褐色、中央にも黒みがかった帯が入ったもの、あるいは黒褐色にオレンジ色の部分があるものと、バリエーションは豊かだが単純だ=写真上1。
冬鳥のツグミだろうか。細く長い羽根を拾い集め、図書館から笹川昭雄『日本の野鳥 羽根図鑑』(世界文化社)を借りて照合すると、そうだった。
ツグミはムクドリ大だ。わが家の庭にもやってくる=写真上2。渓谷の生き物の頂点に立つのは猛禽だが、鷹の種類までは特定できない。
渓谷へ行くのはこのところ雪の影響もあって、隔週日曜日になった。隠居の主が留守なのを承知している、そんな猛禽の振る舞いだった。
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