2023年2月25日土曜日

記憶再生法

  「時計をみて時間を読み取ることは認知症の早期にできなくなることが多い。(略)時計を読むのは意外なほど複雑な作業である。ディジタル時計によって、時間に無関心になるのをできるだけ遅らせることが重要である」

 例示が具体的でわかりやすい。しかも、「あなたは認知症ですよ」と突き放すのではなく、症状の進行を抑えるようにアドバイスをする。つまりは、文章を読んだ人間が励まされる。

 わが家にはアナログの掛け時計=写真=がある。ふだん時間を知るのは、テレビのそばにあるデジタル時計だ。

スマホは最初の画面に時計の文字盤が表示される。同じ画面の下に時間そのものが数字で出る。文字盤で時間を読む。これらの時計をまず思い出した。

カミサンが移動図書館から借りた本の中に草思社編集部編『作家の老い方』(草思社、2022年)があった。俳人松尾芭蕉から歌人太田水穂まで、33人の作家の文章を収める。

冒頭の認知症と時計の話は、神戸大学名誉教授で精神科医の中井久夫さん(1934~2022年)が書いた「老年期認知症への対応と生活支援」に出てくる。

中井さんの名前は阪神・淡路大震災後に知った。『1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち』(みすず書房、1995年)の中に、中井さんの記録「災害がほんとうに襲った時」がある。

東日本大震災のあと、「災害が――」と、新たに書き下ろされた文章を合わせて『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録』(みすず書房、2011年)が緊急出版された。心のケアを考えるうえで必読の文章と評判になった。

認知症がらみの文章では、冒頭の時計の話のほかに、中井さんも同じかと思わせる記述があった。「私が使う記憶再生法は『キーワード法』である。最初は自分に対して行った」

一例として中井さんは、17世紀のイタリアの哲学者の名前を思い出すために、こんなことをする。「私は『ア』から始めて『アイウエオ』を頭の中で唱えては、それで始まる名を呼び出そうとしたが、出てこない」

このときはあとで不意に、「ジャンバッティスタ・ヴィーコ」であることを思い出す。「アイウエオ」のキーワード法の中に「ヴ」はなかった。それで記憶を呼び出すのに時間がかかった。

この記憶再生法はどうやら万人に共通の「知恵」でもあるらしい。というのは、私自身、教えられたわけではないが、同じようにアイウエオのキーワード法で忘れた名前を呼び出すことが多くなった(多くはかつて取材した人の名前だ)。

そのほかでは、認知症の「初期とは、私は、自我同一性の喪失までとしたい。というのは、この初期の対応が改善されれば初期が長引き、ひいては初期に留まる可能性があるからである」。

自我同一性は「自分は自分であるという感覚」と説明される。つまり、「自分は誰?」となっても、対応が改善されれば認知症の初期のままで命を全うできる可能性がある、ということだろう。

「老人にはたそがれ時の外出を控えてもらうことである。この優先順位は高い。(略)買い物は夕方に多いが、レクリエーションを兼ねて昼に楽しみながら行うか、同伴で買い物にゆくことである」。たそがれ時にはもう晩酌を始めている。これにも強く同意したい。

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