2023年2月27日月曜日

昭和三陸津波から90年

        
 100年前の関東大震災に関する本を読んでいたら、その10年後に昭和三陸津波が起きたことを知った。首都の復興がなるとすぐ、日本は新たな大災害に見舞われた。

 昭和三陸津波と明治三陸津波は宮沢賢治(1896~1933年)の生涯と結びついている。賢治は明治三陸津波の年に生まれ、昭和三陸津波の年に亡くなった。

 昭和三陸津波は昭和8(1933)年3月3日未明に発生した。ウィキペディアによると、地震そのものによる被害は少なかったが、大津波が襲来し、岩手・宮城県を中心に死者・行方不明者が3000人を超え、6000戸近い家屋が被害に遭った。

 関東大震災といわき地方の関係を、いわきの地域新聞で確かめたことがある。大正12(1923)年の新聞は、残念ながら「常磐毎日新聞」の11、12月分しかない。同紙はこの年の11月に創刊された。

 発災から2カ月ばかりあとの11月8日付(実際は7日の夕刊)。平駅(現いわき駅)の10月の運輸状況について、貨物は発送増・到着減、震災地往来の乗降客は減少、と伝える。12月11日付には、石城郡への震災避難者は1759人という記事が載る。

 というわけで、関東大震災の2カ月後からの様子は地域新聞で確認することができる。さらに、当時の状況を記した単行本や雑誌もそれを補強する。

 同じように昭和三陸津波といわき地方の関係をチェックしてみた。たとえば、昭和8年3月4日付の常磐毎日新聞。3面に記事が集約されている=写真。(表記は現代語に改め、適宜、読点を付した)

 主見出しは「寝入りばなを襲った/今暁の地震/震源地は金華山沖/安否を気づかう不安な一夜」。4日付だが、実際には3日に夕刊として配達された。見出しも記事も「今暁」なのはそのため。

 小名浜測候所によれば、当地方としては関東大震災のあとの大正13年に一度、同規模の地震があっただけで、今回はそれ以来の大きなものだった。

震源は宮城県金華山沖らしく、同県気仙沼や岩手県釜石には海嘯(かいしょう)その他の被害がかなりあった模様、と伝える。それが「四時間半に/わたって震動継続/ツナミ被害甚大/小名浜測候所の談」という見出しになった。

 大正13年の大きな地震とは、同年1月15日未明に発生した関東大震災の巨大余震のことだろう。そのときは「平駅に/列車が着かぬ/電報も大遅延/今朝の震災で」(常磐毎日新聞)と、いわき地方にもすぐ影響が現れた。

 昭和三陸津波では、ほかに小名浜海岸で「鰯煮干し全部流失/築港護岸が崩壊」し、江名港では「激浪で/漁船が/浅瀬に乗り上げる」という被害も。

内陸部の平町では「配電線が切断し、平町の一部と平窪村が停電」したほか、「才槌小路方面の電柱は青い火花を散らしていた」という。

この大災害を契機に、三陸の集落の移動調査に入り、勤務校を平から岩手に移してライフワークの東北研究を続けた教師がいる。山口弥一郎。昭和三陸津波の研究成果は『津波と村』になり、東日本大震災後、68年ぶりに復刊された。

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