2018年4月1日日曜日

木村武山の絵

 義父は家業の合間に、書画骨董の世界に遊ぶのを楽しみにしていたようだ。カミサンの実家には義父が集めた絵や掛け軸、短冊などがある。梁(はり)には横山大観(1868~1958年)の手紙と木村武山(1876~1942年)の小品=写真=がかかっている。
 先日、法事があって、カミサンの実家で昼食会が開かれた。この4月から小5、小3になる孫が梁の武具を見上げて「ホンモノ?」という。それはホンモノだ。大観の手紙や武山の絵にはしかし、目もくれない。実は、私もこれまで梁の絵には興味がなかった。今度初めて署名を見たら、「武山」とある。
 
 まだ見に行っていないが、茨城県天心記念五浦美術館で4月22日まで、「秘蔵の木村武山展」が開かれている。それで「武山」と「木村」が結びついた。

 武山は茨城県笠間市に生まれた。大観、下村観山(1873~1930年)らとともに、岡倉天心(1863~1913年)のもとで日本画の近代化に努めた。天心らの五浦移転に合わせ、一家をあげて同行した――と、ウイキペディアにある。五浦ゆかりの日本画家だ。
 
 大きな木の切り株に小さな仏像がまつられている。厨子の代わりに雨をふせぐミニあずまや。ざんばら髪の人間が3人、ひざまずいて仏像を拝んでいる。左の人物は合掌し、真ん中の人物は手を合わせ、右の人物は地面に手をついて。右わきには船の櫂(かい)。漁民らしい。漁民と仏教の結びつきを示す説話があって、それを描いたのだろうか。

 真贋の決め手のひとつは落款(らっかん=署名・印)だ。五浦美術館が平成23(22011)年冬に開催した企画展「没後70年 木村武山の芸術」の図録を、総合図書館から借りて照合してみた。明治33(1900)年の落款に似る。でも、それより白い仏像の稚拙さが気になる。まずは五浦美術館へ出かけて武山の世界にひたる、そこからはじめるしかないか。

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