何回の連載かわからないが、6月中だとすると土曜日は5回ある。「忘れられた歌人」だ。その人となりを掘り起こし、調べて5回も書くとなると、体力が要る。筆者は福島短歌研究会長で元警察官の今野金哉さん。実作者でもあり研究者でもあるようだから、どんな展開になるのか期待がふくらむ。
詩人山村暮鳥を軸にした「いわきの文学の100年」を俯瞰するとき、秋人も視野に入る。暮鳥が大正3(1914)年5月に創刊した雑誌「風景」に作品を寄せている。
10月号。<合掌>というタイトルで「暮れちかき光り流れてゆくかたは遥けかりけりなびけ萱艸(かやくさ)」ほか12首が載る。11月号は、同じ<合掌(其二)>で、「ひもじさをしかも堪えゐてもろこしの穂をつみにけりゐなくこほろぎ」ほか12首。このとき秋人は21歳になったばかりだ。
文学事典では、秋人は福島県安達郡石井村(現二本松市)生まれ。本名・三島一。「アララギ」を経て、「常春」(大正10年)「ひこばえ」(昭和3年)を創刊――といった程度で終わる。
一方で、彼にはこんな功績もある。ヒメハルゼミは箱根町の天然記念物だ。同町湯本の早雲寺周辺の照葉樹林に生息する。戦後の昭和22(1947)年、秋人が発見したという。自然と人間を詠む歌人の鋭敏な感覚がヒメハルゼミの生息確認につながったか。同町には秋人の歌碑「あかときと啼くひくらしにさきかけて天に流らふ勤行蝉(ひめはるぜみ)のこゑ」が立つ。
ヒメハルゼミは西日本にいるセミの一種だという。ウィキペディアによれば、早雲寺周辺では6月下旬から8月上旬に出現し、「ギーオ、ギーオ」「ウィーン」と鳴く。いわきにはいない。
「ふくしま人」では、暮鳥や早雲寺のヒメハルゼミにも触れることだろう。いや、触れないわけにはいかない。“暮鳥圏”の人間とそのつながりを調べている人間としては、秋人の人となりを深く広く知るチャンスでもある。さっそく新聞を切り抜いて、暮鳥関連のファイルに加えた。
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