10年前にいた猫も反応が分かれた。拙ブログで確かめると、雄猫の「レン」はゴロニャン、ゴロニャンと興奮した。が、不妊手術を受けてぶくぶく太った雌の「さくら」は無反応だった。
きのう(6月25日)、スペインの青年ラザロからEメールが届いた。9年前の2月、同地に住むいわき出身の画家阿部幸洋と一緒にわが家へやって来た。その半年前に急死した阿部の奥さんが、小さいときからわが子のようにかわいがっていた青年だ。さくらがラザロのそばでずっと丸まっていた。「(まだ生きているなら)猫にもこんにちは(と)言って」とメールにあった。
マタタビの葉とラザロのメールから、さくらを思い出した。さくらは今、渓谷の隠居の庭に眠る。
さて、スペインからのメールは、日本語で9年前のことを振り返りながら近況を伝えている。スペイン語で書いた文章を自動翻訳で日本語に変換したらしく、文法や意味がおかしいところだらけだ。文意をくみとるしかない。
中に「もう私の兄と話しましたね」とあった。彼の兄は日本にいて、大学で歴史を教えているらしい。「私の兄弟は先生で、彼は自動翻訳機なしで日本語を話すことができます」
前日の24日、ラザロの兄のダニエルから、やはりEメールが届いた。まだ会ったことはない。この8月15~25日、いわきに滞在したい、阿部が私の家に泊まれると言っていた、返信を待つ――というものだった。もちろん、OKの返事を出した。
9年前の拙ブログによれば、ラザロは、英語はディズニーのアニメ映画で学習した。日本語は、ちゃんと学んだことはない。が、英語、日本語、阿部によるスペイン語の通訳で、ほとんど違和感なくコミュニケーションが取れた。
当時、27歳。職業は「アート&デザイン」で、コンピューターを駆使して、いまはやりの「3D」で大きな倉庫のデザインなどを手掛けている。猫が大好きだといっていた。さくらをかわいがるしぐさからして、それがよく分かった。
実は先日、グラナダといわきを行ったり来たりしているヤヨイさんから、フェイスブック経由で阿部がメールアドレスを知りたいといっている、と連絡が入った。東日本大震災が発生したとき、ラザロからメールをもらったが、アドレスと機器を変えたかしてこちらの連絡先がわからなくなったのだろう。
阿部からはここ数年、いわきで個展を開くたびに、ラザロの兄(どういうわけかずっと「弟」と思い込んでいた)がいわきへ行きたがっている、という話を聞いていた。いよいよそのときがきた。兄と話せばお互いになにかおもしろいものが見つかると思う、といった意味のことも、ラザロのメールにあった。この年になっても、いろんな人が来てくれる。おもしろい。どこかに「招き猫」がすんでいるのかもしれない。
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