2019年6月28日金曜日

草野心平と吉野せい

いわき市教育文化事業団は昭和53(1978)年、いわき市の埋蔵文化財や古生物の発掘調査と、いわき市史編纂(へんさん)事業を手がける組織としてスタートした。昨年(2018年)、設立40周年を迎えたことから、記念論集(研究紀要第16号)が発刊された=写真。同事業団の評議員をしているので、事務局から恵贈にあずかった。
同事業団が指定管理者になっている、いわき市立草野心平記念文学館や考古資料館、生涯学習プラザなど9施設の学芸員ら13人が11本の論考を寄せた。個人的には「資料紹介 吉野せい・草野心平書簡翻刻―吉野せい『暮鳥と混沌』刊行に至る経緯を解く資料として―」(長谷川由美)に興味を持った。

同文学館が所蔵するせい差し出し9通、心平差し出し21通の封書・はがきを翻刻した。「せいの最初の単行本『暮鳥と混沌』(歴程社 昭和46年10月)刊行に至る経緯、作品には描かれなかった心平の励ましや助言、せいの直截な心情などを読み解く資料」だ。

これまで断片的にはがきや封書は紹介されていたが、『暮鳥と混沌』、次の『洟をたらした神』(昭和49年11月初版)刊行に至る経緯がよくわかる構成になっている。

せいのはがきに「事件」ということばが出てくる。『洟をたらした神』が反響を呼んで、同50年春、田村俊子賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。その前後に、マスコミが取材に殺到する。そのことを指しているのか、いや違うだろう、というのが、翻刻と「註」を読んでの私の感想だ。

肝心のはがきの一部――。「おはがきは疾(と)うに頂いておりました 御返事を書くひまがなかったのです 自分の大嫌いな マスコミとやらに 追いまくられて 疲れて辛うございました。/自分では考えてもいなかった 今度のような事件が持ち上ってしまって 心中 途方に暮れています。」

 取材攻勢にあったことも「事件」には違いない。が、それとはまた別の問題が持ち上がっていた。

心平にあてて、せいが前掲はがきを投函(昭和50年3月28日消印)する6日前の、心平の日記(昭和50年3月22日)。

「津曲さんからデンワ。『洟をたらした神』のうち『なくなった紙幣』が土地で問題になり、名誉キ損だと言はれたりして目下寝こんでゐるらしく、その分だけ取除いて欲しいと言ってゐる由。(略)田舎はうるさいから私も同意し、その事を大宅壮一ノンフィクション賞の委員に知らせて了解を得て欲しいと答える」

津曲さんとは発行元の彌生書房社長、「なくなった紙幣」は、正確には「飛ばされた紙幣」だ。『洟をたらした神』は最初、17篇を収めて刊行された。しかし、その後「飛ばされた紙幣」を削除した普及版が出され、現在の文庫本もそれを踏襲している。「事件」とは、このトラブルを指しているのではないか。

ま、それはさておき、「自分の大嫌いなマスコミとやらに」というくだりを目にするたびに、同年3月7日、田村俊子賞受賞の報を受けてせい本人を取材した私としては、胸にさざ波が立つ。

せいは、夫・混沌の死後、自分から願い出て、地元のいわき民報に「菊竹山記」というタイトルで、随筆を連載している。なかに、『洟をたらした神』に収められた作品の原形がいくつかある。「大嫌いなマスコミ」(いや、マスコミと思わなかったのかもしれないが)を利用しているではないか、そのことばとの整合性はどうなのか――という思いは消えない。

しかし、そのことも含めて、『洟をたらした神』を読み込み、注釈づくりを続けているためか、せいの内面をいくらか想像できるようになった。自尊、剛毅、緻密。翻刻された書簡からは、自他に厳しいせいの性格の一端が読み取れる。

0 件のコメント: