私がつくっている三春ネギは阿久津曲がりネギの親戚、あるいは同じではないか、というのが私の考えだが、それはともに曲がりネギであること、昔は阿久津(旧西田村)も田村郡に属していたことと関係する。
10年ほど前、ルーツ探索を兼ねて三春ネギの「種の道」をたどったことがある。福島県教委が昭和60(1985)年に発行した『歴史の道 岩城街道』でルートを頭に入れておいた。磐城平城下―小野―三春―阿久津・郡山の同街道は、現在の道路でいうと、主に国道49号~同349号~県道門沢三春線~同郡山大越線だ。
その先は? 猪苗代湖南岸―湖上―会津若松の城下ともつながっていた。会津から東の阿武隈川までのルートは三つ。北から会津若松―本宮(陸路)②会津若松―湖上―浜路(はまじ)―御霊櫃(ごれいびつ)峠(奥羽山脈)ないし三森(さんもり)峠―郡山③会津若松―湖上―舟津―諏訪峠―須賀川。浜路も舟津も郡山市湖南町にある。
半月前の6月9・10日、磐梯熱海温泉でミニ同級会が開かれた。JR郡山駅で8人が合流し、ホテルにチェックインするまで、2台の車で郡山市西南の布引高原から猪苗代湖南岸を巡り、磐梯山中腹のロープウエイを利用して湖を眺めた。
布引高原から下って湖に近づくと、「舟津」の標識があった=写真上1。江戸時代にはこのあたりに港があった(今も観光港がある)。阿久津を探索して以来、一度は訪ねてみたいと思っていたエリアだった。舟津の北の「浜路」にしろ、西の「秋山」にしろ、当時は重要な港、結節点だったに違いない。
猪苗代湖岸=写真上2=に出て、ふと磐城平―会津の「歴史の道」をたどってきたことに気づく。阿久津曲がりネギは明治時代、越中富山の薬売りが「加賀ネギ」の種をもたらしたのが始まりだそうだ。薬売りもまた、この「歴史の道」を往来したことだろう。おそらく阿久津から田村郡内に広まった「三春ネギ」は、さらに小野町経由で夏井川を下り、いわき市の小川町上小川字牛小川までやって来た。「歴史の道」は「ネギの道」でもあった。
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