2019年6月6日木曜日

好間の捕虜収容所

 いわきに駐在するローカルテレビ局の若いカメラマン氏が、あいさつを兼ねてやって来た。福島市の本社で記者をしている知り合いの名前を挙げた。ありがたいことに、カメラマン氏は拙ブログを「ほぼ毎日読んでいる」という。平・藤間沼に飛び込んだ自動車、いわき産のキノコ(トリュフやアカイカタケなど)、吉野せいの短編集『洟をたらした神』などの話になった。
『洟をたらした神』に収められた作品の注釈づくりをしている。それでわかったことを、ときどきブログに書く。公民館その他の市民講座でもよくテーマにする。

カメラマン氏にも問われれば答えたが、それがブログに書いたことなのか、レジュメにまとめたことなのかは、頭のなかでは区別がつかない。先のアジア・太平洋戦争で、いわきにあった捕虜収容所の話に及んだときもそうだった(テレビで取り上げる思いがあるなら協力する)。

せいの作品「麦と松のツリーと」に、好間の炭鉱で働かされた連合軍の捕虜たちが登場する。2014年10月22日付拙ブログ「捕虜と松のツリー」を要約・再掲する。
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終戦前年の師走の暮れ、夫の三野混沌(吉野義也)とせいが菊竹山の麦畑で細葉に土入れをしていると、炭鉱の捕虜収容所通訳Nさんが捕虜の若い白人を連れて現れた。

 Nさんが言う。「この辺に樅(もみ)の木はないかねぇ」。混沌「樅はねえなあ、松の木ならどうだ」。Nさんと若者は松林の中に入り、クリスマスツリー用に「ひねくれた一間ばかりのみすぼらしい芯どまりの松」を取ってくる。

 その松かどうか、クリスマスツリーの前に居並ぶ捕虜たちの写真が、古河好間炭鉱の捕虜収容所の実態について調べたPOW研究会・笹本妙子さんのレポートに載っている。Nさんは混沌のいとこだということも、レポートで知った。

 前夜、好間公民館で市民講座「好間学」の2回目が開かれた。前年、「山村暮鳥と菊竹山」と題してしゃべった縁で、その続きとして「吉野せい、そして三野混沌・猪狩満直」と題して話した。笹本レポートを紹介するなかで松のツリーも取り上げた。

 笹本さんの調査レポートはネットから入手した=写真。捕虜になった側の英文レポート、体験記などもネットから拾える(いわき地域学會の若い仲間が「いわき文献案内」に収め、拙ブログからもリンクできるようにしてくれた)。
 
ネットをうまく利用すれば、いながらにして、瞬時に、必要な情報(文献)が入手できる。文献渉猟は今や想像力と検索次第。地球の裏側も、表もない。半分アナログ・半分デジタルの人間でも、仲間の力を借りれば、今まで思いもよらなかったような視点から調べを進めることができる。(以下略)
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 カメラマン氏が帰ったあと、「麦と松のツリーと」と、去年(2018年)、中央公民館の市民講座で行った「『洟をたらした神』の世界」のレジュメをパラパラやった。「麦と松のツリーと」に続く作品に「鉛の旅」がある。両方の作品をつなぐ作品「暴風時代の話」が、『吉野せい作品集』(彌生書房)に収められている。好間の捕虜収容所の様子がわかる。

若い人と話したおかげで、というか、刺激を受けたので、「暴風時代の話」を下敷きに、せいの見た捕虜収容所の注釈づくりをしてみたくなった。好間町上好間字小館に収容所があったことは、笹本レポートで知っている。いわき地域学會の仲間の力も借りて、まずは“現場”を訪ねてみようと思う。

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