聴講には行っていないが、「いわきフォーラム’90」には関係している。新聞記者だからこそ、アフターファイブは市民として、いろんなコミュニティとつながっていたい――。声がかかっていわき地域学會に入り、いわきフォーラム’90に参加した。いわきキノコ同好会も、いわき昔野菜保存会も創立時からのメンバーだ。
誰もが講師で聴講生――。ミニミニリレー講演会に手を挙げて講師を務めたことがある。平成7(1995)年1月17日、阪神・淡路大震災が起きる。その3カ月後、どうしても被災した子どもの気持ちを代弁したくなった。
小2のときに自分の町が大火事に遭い、家が焼けた。家を再建し、借金を完済するまでの親たちの二十数年間と、自分のその後を振り返りながら、阪神・淡路の被災者のこれからを、長い年月とともに変化する子どもの心を見守っていきたい、といったことを話した。
「貧困の発生」(両親)や「無意識の我慢」(子ども)「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」などにも触れた。話が終わって雑談に入ると、聴講者の一人から「あなたは自分の体験を話すことでやっと大火事から解放されたのね」と言われた。
最近では2016年9月、「サハリン――賢治と自然と戦争」と題して話した。その2カ月近く前の8月初旬、サハリン(樺太)とシベリア大陸のウラジオストク・ナホトカを旅した。ミニミニリレー講演会を主宰する友人から声がかかったので引き受けた。
いわき民報の記事で友人が語っている。会の広報紙「まざりな」に1000回を目指す、とある。「これはいわき民報に言われたんだよ」「本紙がかつて取り上げた際、1000回を目標とするよう書いたエピソードを、いまでも大事にしている。『こうした声に押されてきたんだ』」
これには、私が関係している。昔も昔、いわき民報のコラムで同講演会を取り上げ、1000回をめざすくらいの気持ちで続けてほしい、といったことを書いた。
手元に24年前の「まざりな」がある。「どこ吹く風」というあとがきのような欄に「誰でもが講師で聴講生をモットーに千回めざして頑張ってます」と、もう一人のスタッフが書いている。「災害のあとに」と題して私が話すという予告も載っている。ミニミニリレー講演会が始まって5年、61回目とあるから、ずいぶん早い段階で「1000回をめざせ」と書いたものだ。
あとがきには「でも、千回目って何十年先のことだろう?(気が遠くなりそう)」とある。ざっと30年で折り返しの500回に届くところまできた。「持続する意思」には脱帽する。
民法が専門の東大名誉教授や元福島県知事から寺の奥さん、シベリア抑留を体験した元兵士まで、有名無名関係なく、地域社会を構成するさまざまな市民が講師を務めてきた。息の長い市民レベルの小講演会としては、まさしく「ギネスもの」である。
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