2019年12月17日火曜日

令和最初の「釜じい」

 おととい(12月15日)の日曜日は、カミサンの実家(米屋)でもちつきの手伝いをした。
 もちは機械でつく=写真下。そのためのもち米を、ドラム缶を利用したかまどで蒸す=写真上。かまどの下には焚き口、上には湯釜。湯釜の上にもち米を入れた蒸篭(せいろ)を二つ重ねて、蒸気をくぐらせる――。
焚き口の火の番、「釜じい」が私の役目だ。とはいっても、かまどの前ではなく、少しずらして椅子に座る。かまどからの輻射熱がハンパではない。

 ときどき焚き口から舞い上がる煙で目がシブシブする。顔が“火焼け”する。熱気がズボンを通して足に突き刺さる。くるぶしや膝が痛くなる。痛さを感じるたびにかまどから離れ、足の熱をさます。

 今年(2019年)もあとで見たら、右足の側面に赤い斑紋が点々とできていた。風呂に入ると痛かった。「低温やけど」のようだった。(今朝はきのう以上にくるぶしの上が痛い。皮がはがれて赤い皮膚がむき出しになっていた)

 義弟が1年をかけて集めた剪定枝や杉板の建築廃材などが焚き木になる。「杉板はパチパチいって火の粉が散るので、ほかの剪定枝に混ぜながら燃やして。2対1くらいの割合で」と教えられる。杉の廃材を一度に何枚も入れると、周りが火の粉だらけになって、火事の心配さえおきる。

桜の樹皮は紙のようによく燃える。墓の花立てに使った真竹も、炎に包まれると、轟音を発する。確かに、木は種類や加工具合によって燃え方が異なるのだ。

始末に負えないのは梅の木。枝にトゲ状の小枝がいっぱい付いている、軍手をしていても、指に刺さったり軍手が引っかかったりする。そっとつまむようにして焚き口に入れないといけない。

「釜じい」の仕事はかまどの火を絶やさないことだ。入れる焚き木のバランスだけでなく、入れ方にも注意が要る。ドラム缶の奥にまで入れると、炎が煙突に抜けてしまう。手前に置くと焚き口から炎があふれる。中央の湯釜に炎を集中させないといけない。わかってはいるのだが、1年に1回では難しい。

とはいえ、火をじっと見ていると、内省的になる。来し方行く末を考える。「今年、おれはなにをした? キノコの本を読んで終わった。来年はまた吉野せいの『洟をたらした神』に戻らねば」。朝10時から手伝いを始め、午後3時にかまどの火を落とすころには、焚き口からの炎や煙で体中がきな臭くなっていた。

 毎年のことながら、もちはお得意さんや親せき、世話になった人たちに配る。おととい夕方にはさっそく、平・平窪や小川の知人宅を回った。

平窪は台風19号による床上浸水に見舞われた地区だ。知人の家も浸水した。知人夫妻は浸水から2カ月たった今も、県外の娘さんの家に避難しているらしく、留守だった。帰宅すると、年賀はがきの投函が始まった、とテレビが伝えていた。今年も残るところあと半月――。

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