いわき地域学會の第353回市民講座が土曜日(12月21日)、いわき市文化センターで開かれた。パソコンとデジタル技術に詳しい渡辺剛廣幹事が「地図を読む」と題して話した。
去年(2018年)8月に続く地図の話第2弾だ。地図といっても、ネットで利用できる地理院地図や地理情報システム、地図アプリなどのことだ。それらを利用することで、アナログでは想像もつかなかったような新しい視点、知見が得られる。
去年の講座を聴いて、拙ブログにこんなことを書いた。「デジタル化された地図の世界は奥深い。陰影のついた地図から、たとえば好間川のV字谷の様子がわかり、小名浜にあった前方後円墳の形が浮かび上がる。地震や津波、水害などの過去情報も地図化することで、人の生命・財産を守る一助になる――。市民講座では、そうした地図の使い方、古地図と現在の地図を比較する仕組みなども紹介した」
今回も同じように、古地図を含む地図の見方や利用法、防災と地図の話をした。主にいわきの夏井川水系を襲った台風19号については、今と昔の地図に水害区域を重ねながら、土地利用の変遷などを解説した。受講者はあらかたアナログ人間だが、パワーポイントで大きく映し出される映像(地図)=写真=と、自分が住んでいる生活空間を重ね合わせながら見入っていた。
床上浸水に見舞われた平・平窪地区は、かつては水田中心の純農村だった。台風19号が襲来する直前の10月9日、たまたまいわき市の公式フェイスブックに、「いわきの『今むがし』――平窪編」がアップされた。平窪が市街地化される経緯がつづられている。
それによると、下平窪の地主約50人が「下平窪住宅団地誘致同盟会」を結成し、旧平市に申し入れる。これを受けて市が区画整理事業を計画する。いわき市合併直後の昭和41(1966)年12月、下平窪地区で事業に着手し、5年後には完成した。これを機に、区画整理事業が周辺に波及して、下・中平窪地区は一大市街地に変貌する。
今の地図だけでなく、古い地図も見ることでその変遷がよくわかる。私は昭和48(1973)年、結婚と同時に下平窪地区の平屋・庭付きの市営住宅に移り、5年ほどそこに住んだ。『今むがし』には、平窪地区に最初の市営住宅が建設されたのは昭和31(1956)年とある。それからほどなく建てられたのではないだろうか。職場からの帰り、夏井川の磐城橋を超えると、平窪方面には水田が広がっていた。
先にいわき市は「浸水区域図」(暫定)を公表した。それも参考にしながら、それぞれの場所の過去と現在をひもといて未来を考える、ということが地球温暖化の時代には必要になってきた。
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