酒井さんは東日本大震災の前からいわきの海を空撮し、震災後も沿岸部の被災の様子や、その後の復旧・復興の姿を空から追い続けている。前作(2013年)から6年間撮りためた膨大な撮影データと向き合うこと半年。ようやく「かもめの視線4」の編集が終わったので――と、先週の火曜日(12月17日)、酒井さんから“デモ盤”の恵贈にあずかった。
酒井さんによると、「かもめの視線4」はこんな構成だ。本編46分(かもめの視線4:26分、写真スライドショー:5分、曲を担当したアベマンセイさんの演奏風景:15分)。これに、「いわきの沿岸部 変化の記録」と題した特典映像131分が加わる。ざっと3時間。「それ以上短くすることはできなかった」ともいう。
きのう(12月27日)までに3回、デモ盤を見た。まず、映像が美しい。夜明け、夕日、霧の灯台、エメラルドグリーンの海、満開の海岸林のヤマザクラ、小名浜の花火大会……。エンターテインメント性もあるし、学術的に貴重なものもある。いわき地域学會が2016年末、『いわきの地誌』を発刊した際には、好間川のV字谷、津波被災に遭った沿岸部の空撮写真などを借りた。「かもめの視線4」にはV字谷も入っている。
60キロに及ぶいわきの海岸線は、断崖と砂浜が交互に続く。「いわき七浜」といわれるゆえんだが、「七」は、ハマが七つではなく、いっぱいあるという意味だ。酒井さんは特典映像で、北から末続・久之浜・波立・四倉・新舞子・沼ノ内・薄磯・豊間・二見ケ浦・江名・中之作・永崎・神白・小名浜・小浜・岩間・須賀・勿来の順に、18地区の変遷を追う。
薄磯、豊間はとりわけ大津波にのまれて激変した。震災前、薄磯の海岸堤防のそばに喫茶店「サーフィン」があった。ママさんがキルティングをやるので、カミサンが扱っている古裂れを買いに来る、私ら夫婦がコーヒーを飲みに行く、といったことをしていた。
大津波では店が流され、地続きの自宅が残った。命は幸い助かった。薄磯でポツンと残った家が酒井さんの空撮動画に映っている。それがやがて解体される様子も。つい個人的なつながりで映像を追ってしまう。(サーフィンは今、高台移転のために切り開かれた山側のふもとに新築・営業をしている)
何を撮るのか、なぜ撮るのか――。酒井さんの空撮動画を見ていると、そんな問いかけなどどこかへ吹き飛んでしまう。ふるさとへの愛、そして同じエリアを撮り続ける意志、肉体的には厳しい高みまで舞い上がる意志。その意志の力が11月29日、小名浜のマリンタワーを入れて富士山を撮るという念願をかなえた。本編の写真スライドショーにも富士山が入っている。
余人のマネのできない「かもめの視線」という独自性、そしてアーカイブとしての価値、それを担保する表現力。それがどこから生まれてくるのか、繰り返し見ていると、おのずとわかってくる。
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