福島県といわき市の国際交流協会が共催した。カミサンがシャプラニール=市民による海外協力の会のいわき連絡会を引き受けている。市の国際交流協会にも入っている。それで研修会の開催を知った。
仙台観光国際協会の須藤伸子さんが「災害時の外国人支援と共助」と題して話した=写真上(テキスト)。災害時に外国人が直面する課題は①日本語の情報が理解できない②災害に対する知識がない③外国(日本)で被災する不安・ストレスがある――。
そのためには、なにをおいても「やさしい日本語」への言い換えが必要になる。例えば、避難所→安全な場所、至急→今すぐ、給水車→水がもらえる車、配布→もらえる、など。提供する側ではなく、される側になって言い換えることが大切だという。
災害時の語学ボランティアの役割は、①災害に関する語彙の確認②日頃から人的ネットワークを広げておく③防災や地域の情報を入手しておく――。要は、外国人に正確な情報をいかに早く伝えるか、そのためにも専門的な知識を持つ人とたくさん知り合いになっているといい、という。これは、一般の日本人にもいえることだ。
ワークショップでは、避難所にいる日本人と外国籍住民を描いたイラストを見ながら、シナリオに従って“朗読劇”を展開した。
おばさんや子どもといった“災害弱者”が避難所にいる。そこへ、赤ん坊を抱いた外国人のAさん(女性)と、日本語がよくわからない外国人のBさん(男性)がやって来る。外国人窃盗団のうわさにカリカリしている日本人のCさん(男性)が2人に突っかかる。周りの人間はCさんとAさんのやりとりを、ハラハラしながら見守っている、という図だ。
受講者がそれぞれの人物に扮してセリフを述べたあと、講話で学んだことを踏まえながら、須藤さんのリードでどうしたら避難所で住民と外国人が共生できるかを話し合い、発表した。私らのグループには、日本人男性と結婚した韓国とフィリピンの女性が加わった。韓国人女性は日本語がペラペラだ。災害時には、彼女自身が語学ボランティアになれる。
日本語のわからないBさんを演じた。演じながら、8年9カ月前の原発避難体験を思い出していた。当初、血のつながった3家族以外、知っている人間は皆無だった。避難が長期化すれば、避難所内でのコミュニティづくりが必要になる――そう考え始めたころ、帰還した。
同時に、台風19号のときに開設された避難所に留学生が集中した、という話も頭をよぎった。車で夏井川の堤防を行き来するとき、技能実習生と思われるグループとすれ違うことがある。彼らは台風19号の襲来時、日本人以上に不安に駆られたのではないか。独り暮らしのお年寄りだけでなく、行政区内のどこに外国人が住んでいるかも頭に入れておかねば――区内会の役員として、そんな思いがわいた。
テレビ局が密着取材をした=写真上2。事務局に聞くと、市の記者クラブに資料の投げ込みをした。食いついてくる記者が少なかったのを嘆くよりは、テレビ局がどう報じるか、そちらを楽しみにしよう。
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