2020年3月14日土曜日

鎖国、のような日々

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、各国で特定の国からの入国を制限する動きが強まっている。アメリカは中国、イランのほかに、13日から30日間、英国を除く欧州からの入国停止に踏み切った。日本は中国・韓国のビザなし入国を中止した。日本からの入国も35カ国で制限されている。世界経済への影響も懸念されている。
 こうしたニュースを耳にするたびに、多和田葉子さんのディストピア小説『献灯使』(講談社、2014年)=写真上=が思い浮かび、「鎖国」という言葉が脳裏をかすめる。

東日本大震災に伴う原発事故のあと、国際NGOのシャプラニールがいわき市平に開設した交流スペース「ぶらっと」で、英語に堪能な田中由里子さん(平)やフランス人写真家デルフィンと出会った。デルフィンはやがて多和田さんと、ドイツのベルリンで2人展を開く。多和田さんは田中さんの案内でいわき・双葉郡、その他の土地を巡る。

「短編『不死の島』を展開させて長編小説を書くつもりだったわたしは、この旅をきっかけに立ち位置が少し変わり、『献灯使』という自分でも意外な作品ができあがった」(講談社のPR誌「本」2014年11月号

 小説の出版と前後して、二度、いわきで多和田さんを囲む食事会が開かれた。田中さんから連絡がきて、二度とも夫婦で参加した。下の写真はそのときのひとこま。
 新型コロナウイルスによる入国制限が広がるなかで、『献灯使』を読み返した。大災厄に見舞われ、「外来語も自動車もインターネットも無くなった鎖国状態の日本で、死を奪われた世代の老人義郎には、体が弱く美しい曾孫、無名をめぐる心配事が尽きない。やがて少年となった無名は『献灯使』として海外へ旅立つ運命に……」(帯文から)。

 最初にこの小説を読んだときは、原発事故から3年ほどしかたっていなかった。現実の記憶がだぶって重苦しいものを感じた。今はだいぶ距離感が保てるせいか、多和田さん独特の比喩を楽しめるようになっていた。

「敬老の日」と「こどもの日」は、「老人がんばれの日」と「子供に謝る日」に名前が変わった。「勤労感謝の日」は「生きているだけでいいよの日」になり、インターネットがなくなった日を祝う「御婦裸淫(おふらいん?)の日」もできた。

 さらには、外来語が消えていくなかで、ジョギングは「駆け落ち」(駆ければ血圧が落ちる)と呼ばれるようになり、パン屋の主人は自分の焼くパンに「刃の叔母」「ぶれ麺」「露天風呂区」などと変わった名前を付ける(ハノーバーとかブレーメンの地名が思い浮かぶ)。

 こうした語呂合わせや言葉遊びが随所に出てくる。「カマンベールのような月」「空があざ笑うようにあおい」といった比喩も新鮮で面白い。

 最初の食事会が終わり、外へ出た多和田さんがポツリポツリと降りてきた雨を受けて、夜空を仰ぎながら「雨も〇×〇×だわ」といった。そのとき、さすがは作家・詩人(詩も書く)とうなった。生身の作家の言語感覚に感じ入り過ぎて、肝心の「〇×〇×」を忘れてしまったのが口惜しい。

 今回は特に、利休のいう「重きを軽く軽きを重くあつかう味わい」を味わうことができた。個人のレベルではおこもり、国のレベルでは鎖国、のような日々を、どう迎え撃つか――。年寄りは本でも読んで過ごすしかない。

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