2020年3月4日水曜日

講演記事の作り方

 なるほど、こういう記事の組み立て方もあるのか――。元記者として、新聞の可能性を感じてうれしくなった。
 1~2月に計5回、いわき総合図書館で「図書館『いわき学』講座」が開かれた。4回目に「吉野せい『洟をたらした神』を読み解く」と題して話した。その講演要旨がおととい(3月2日)、福島民友新聞「解説のページ」の<座標軸>というコーナーに載った=写真。

通常、この種の講演記事は、記者が会場ないし演者の写真を撮り、資料(レジュメなど)をもらって、そそくさと次の取材に向かい、つまり話を聴かずにいつ・どこで・だれが――といった5W(1H)でまとめて終わり、がほとんどだ。これだと記者は考えないで済む。そういう空疎な記事ではなく、いきなり核心に触れる、というスタイルが新鮮だった。

講演会の予告はするが、取材には来ないところがある。これは論外。逆に、ひとつの講演でタブロイド1ページ、2ページと紙面を埋め尽くすところがある。これはこれで安直なやり方だ。汗をかかずに、楽に紙面が埋まるのだから。

盛り過ぎも困るが、上っ面だけも困る。その中間はないものか――。若いころはそれなりに講演を詳報した。といっても、紙面的なバランスがある。タブロイド1面全部を使うようなやり方はできない。1行15~13字×70行程度、1000字前後にまとめることが多かった。

民友の<座標軸>も、12字×63行=756字、400字詰め原稿用紙でざっと2枚分だ。活字が大きくなった現在、器(紙面)と中身にふさわしい分量といえる。

私のいいたいことをそれなりに伝えている。その分、記者は文の構成を考えないといけない。会場で直接、掲載の趣旨を聞き、あとから確認の電話が入った(そのやりとりの中で、掲載が決まったら教えてくれるように頼む)。

掲載日の前夜、連絡があった。当日早朝、コンビニで民友を買い、川内村へ葬式に出かけた(その時点では、記事は読んでいない)。霊柩車を見送り、近くのカフェで昼食をとりながら、店に備えてある民友で自分の記事を読んだ。

その感想と推測――。なぜ<座標軸>に? 現役のときに経験したことだが、本社から支社・支局にはいろんな手配がくる。順番が決まっているものもある。若手記者にとっては、誰の何を取り上げるか、情報収集力とアンテナの感度が試されるときだ。いろんな書き方を学ぶチャンスでもある。

そういったことを踏まえて、きのう、お礼の電話を入れた。こちらの推測はそうはずれてはいなかったように思う。

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