トイレットペーパー騒動が起きた遠いとおい日の記憶がよみがえる。昭和48(1973)年秋、第4次中東戦争が勃発し、石油危機(オイルショック)がおきた。物価高騰と品不足が市民の生活と企業の生産活動を直撃した。トイレットペーパーの買いだめ・品不足がニュースになり、それがまた風評を呼んで買いだめの悪循環を招いた。
勤務して3年目のいわき民報社では、電力制限→メーカーからの新聞用紙25%削減を受けて、その年の師走10日から、通常10ページ建てを2ぺージ減らして8ページにした。
9年前の東日本大震災と原発事故では、マスクが必需品になった。見えない放射性物質の吸入を防ぐため、外出時にはマスク着用を――そう呼びかけがあって、3・11以後、初夏になってもマスクを離せなかった。当時の様子を拙ブログから抜粋する。
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【2011年4月24日付】「よし、行くぞ」。このごろは、気合をかけてから散歩に出る。「屋内退避」ではないが、しばらく散歩を控えた。足の筋肉がなえてきたのがわかる。これではいけない。夕方、帽子をかぶり、気休めのマスクをして、いつものコースを歩く。
【2011年6月12日付】夏井川渓谷(牛小川)の隠居を“線量チェックドライブ”の発着点にする。行きは川前~川内村~都路村~常葉町、帰りは常葉~船引町今泉~小野町~牛小川という、およそ130キロの円環コースだ。
最初は広域基幹林道上高部線、通称「スーパー林道」に沿って、車内の線量をチェックする。線量が高いことは分かっていたので、マスクをした。エアコンも止めた。窓を開ける気にはならない。じんわり汗がにじむ。
【2011年8月2日付】日曜日(7月31日)昼前、シャプラニールや地元NPOなどが協力して、生活支援物資を配布することになった。カミサンが手伝いに行くというので、車で出かけた。物資の中身はパンケーキの粉、シロップ、紙コップ、マスク、食器、水その他。
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47年前のトイレットペーパー騒動のときには、むろんインターネットはなかった。メディアのニュースと、人から人へのクチコミが買いだめを生んだ。9年前は、マスクが品不足になったという話は聞かなかった(東日本だけだったから?)。今回は、新しいクチコミ媒体=インターネットを通じて一気にデマとパニックが広がったらしい。メーカーが「心配ないですよ」といっても、“風評”はいまだ収まらない。
わが家にはたまたま、9年前にもらった支援物資のマスクが残っていた=写真。「マスク不足」に敏感にもならず、鈍感にもならずにいられるのはそのためらしい。フェイスブックには、なければつくればいいと、自作マスクの画像がアップされている。それもまた自衛策のひとつにはちがいない。どんなときでも知恵と工夫が暮らしを彩り豊かなものにしてくれる。
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