2020年3月3日火曜日

骨壺まで用意していたか

 きのう(3月2日)、親しくしていた陶芸家の葬儀・告別式が川内村で行われた。同村・土志(とし)工房代表の志賀敏広さん、享年71。旧知の元同村教育長石井芳信さんと一緒になり、喪主(妻)の志津さんのあいさつを聞いて、この十数年間の彼の生き方と覚悟の深さにあらためて感銘を受けた。
 だいぶ前に直腸がんが見つかる。これは寛解した。その後、肝臓がんがわかる。そして、今回。体調を崩して入院したが、治療も始まらないうちに20日余りで逝った。志津さんにとっても、娘の風夏さん(いや、ちゃん、でいく)にとっても、あっという間の出来事だった。

 午前10時半からの葬儀に間に合うよう、8時半に夫婦でいわきを出発した。いわき四倉ICから常磐富岡ICまで常磐道を利用し、そのあとは県道小野富岡線を川内村まで駆け上がった。平地では小雨、川内でも小雨だったが、田畑の土手は白くなっていた。

ほんとうは夏井川沿いの県道小野四倉線~同上川内川前線を行くつもりだった。その方が近い。台風19号による路肩崩壊のために、川前地内で今も上川内川前線が全面通行止めになっている。常磐道経由で大回りするしかなかった。

9時40分過ぎには葬祭場に着いた。すぐ志津さんと風夏ちゃんに会う。4月に首都圏で個展を予定しており、1月に下見をして来たばかりだった(志津さん)。そのあと、体調を崩したという。

いわき市小川町の草野心平生家で、2月21日から3月8日まで書画展が開かれている。故人に誘われて、心平の弟、天平の詩を書にしたためた。故人の絵画と合わせて展示している。ぜひ見てほしい(石井さん)。志津さんも、危篤に陥った夫に代わって作品を搬入したという。

昔、本人から病名を聞いたことがある。「その後」はしかし、「その前」と同様、朗らかに、穏やかに、仕事と暮らしを楽しみ、いろんなイベントを企画した。その一つが、このブログの最後に「付録」として載せた2009年5月の、「花」を主題にしたいわきでの展示会と一弦琴コンサートだった。求められて短文を書いた。人間の生と死に思いをめぐらさないではいられなかった。

戒名はない。俗名のままで――村の寺の住職も了承した。自分が入る骨壺は、陶芸家らしく自分でつくった。遺影は? 定番の顔写真ではなく、菜の花畑の小道で、そばに立つ高木を見上げている横向きの姿だ=写真。

そうか、そうだったのか。日常の中で死と向き合い、人にそれと気づかれることなく、おおらかに生を楽しんだ。川内の自然をこよなく愛し、自然とともに暮らすことを喜びとして、自然に溶け込むようにして永遠の眠りに就いた。

あっぱれな人生ではないか。棺のなかで眠るあなたと対面して、こう胸の中でつぶやいたよ。「ありがとう、いろいろ遊ばせてくれて、楽しかった」

            ◇付録(2009年5月)◇
 
●志賀敏広個展「花」に寄せて
吉田 隆治
西行は、ヤマザクラの花が満開のころに死にたいという願いを抱いて、その通りに死んだ。劇作家の田中澄江さんは大滝根山に群生するシロヤシオの花を見て、この花の下で死んでもいいと思った。
花が咲く。それはいのちが横溢することだ。が、同時に散るいのちのはかなさをも映し出す。光る生の裏に翳る死がある。死が生を裏打ちしている。花が輝くとき、死はもっとも親しいものになる。ゆえに人は古来、花に包まれて死んでもいいという思いを抱いてきたのだ。
青空に白い雲があるように、足元に、頭上に色とりどりの花があることをありがたく思う。その花に思いを寄せた志賀敏広さんの絵もまた、私にはありがたい。
●日記帳 2009.1.15
志賀敏広
一昨年、3年間付けることのできる、日記帳が切れることになった。更新しようか、どうしようか、ずいぶん迷ってしまった。本当はたいしたことではないのだが、最悪1ページでも使うことができればと思い、新しいものを購入することにした。
生まれてこの方、こんなに自由に使うことのできる時間と、友人からの温かいはげましをいただいた。ある意味ではとてもうれしかった。今、その日記帳の3分の1が埋まった。
その間、多くの時間を得て「花」という題で展示会を開けないものかと思うようになった。これまで少しずつ描きためておいたものも合わせて、展示会を開くことにした。
同世代の吉田隆治氏に「花」という題で文章を書いていただくことにした。

1948年 福島県浪江町生まれ
1972年 多摩美術大学卒業

1971年 村松画廊で個展「風景論」
1971年 京都へ
1975年 ギャラリー16で個展「風景へ」
1977年   〃  「風景(冬の時)」
1981年   〃  「風景(京へ)」
1991年 福島県川内村へ
2009年 アートスペース エリコーナ
(いわき市)で個展「花」

●一弦琴コンサート
5月30日午後5時(開場)
アートスペース エリコーナ
奏者 清虚洞一弦琴宗家四代・峯岸一水

峯岸一水(本名・佐知)
清虚洞一絃琴流祖・徳弘太霖の玄孫。幼少より曾祖母・清虚洞一絃琴三代松崎一水(国選無形記録文化財保持者)の手ほどきを受ける。1988年、松崎一水没。若くして四代目を継承。以後、齊藤一蓉を後見として師事。聖心女子大学卒業。NHK邦楽技能音楽育成会第40期首席卒業。ホーチミン市でグエン・テイ・ハイ・フォンにベトナム一弦琴ダンバウを師事。もともとは精神修養の楽器でもあった、江戸期に隆盛の一絃琴音楽の伝統を次世代に継ぐべく、小学生邦楽鑑賞教室活動を展開、年数回のペースで古典とともに新曲の演奏会・レクチャーコンサートを国内外で行い、指導にも取り組んでいる。2008年11月の襲名20周年の演奏会では皇后陛下の行啓を賜った。最近はカンボジア舞踊とのコラボレーションなど音楽以外の芸術との新しい広がりをも模索している。

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