心平とゆかりの深い川内村の、陶芸家・画家・木工作家志賀敏広さんが絵を、彼の友人の石井芳信さん(元同村教育長)と、村外のカーティス・パターソンさん(箏奏者=シカゴ生まれ)が、心平の弟で、やはり詩人の天平の詩を書に表した。
メーンは2月23日の「草野天平の集い」だったようだ。天平の詩の朗読と歌、箏(パターソンさん)の演奏が行われた。80人ほどが詰めかけ、盛況だったという。
天平は1910年2月28日に生まれ、1952年4月25日に亡くなった。毎年、生誕日に近い日曜日に集いが開かれている。私も東日本大震災の直前、草野心平記念文学館から頼まれて、「天平の作品とふるさと」というテーマでおしゃべりをした(下記の「付録」参照)。
今となれば、ただただ悲運というしかないのだが……。書画展を中心になって準備してきた志賀さんが2月初旬に体調を崩し、同26日に亡くなった。71歳だった。危篤の志賀さんに代わって、奥方の志津さんが作品を搬入した。
新聞やネットで書画展の開催は承知していた。会期が3月8日まで、というので、夏井川渓谷の隠居へ行ったついでに――と、のんびり構えていたら、娘の風夏ちゃんのフェイスブックで彼の急死を知った。3月2日の葬儀・告別式に臨席し、志津さん、風夏ちゃん、石井さんと話して、すぐにも遺作を見なければ、という気持ちになった。
きのう(3月5日)、心平生家を訪れた。当番で詰めているボランティアの女性2人が応対してくれた。
畳の部屋に、箱型の脚に板を渡して作品を置き、さらにアクセントとして立てた板にも作品がかけられている。その数26。絵は水彩の落葉樹、木の花、新緑、山並み、ウミネコ、歌舞伎など。彼の作品に書が重なる。透けて見えるものもあれば、絵が隠れてしまっているものもある(彼が彼岸へ渡った今は、その意図を聞くこともできなくなった)。
空間の使い方はさすがだ。箱脚も、板も、木工作家としての彼の技を感じさせる。それも含めての書画展だった。コンサートのときには陶器も展示されていたと、ボランティアの女性がいっていた。
最後に、天平の短詩「宇宙の中の一つの点」を掲げる=写真上。
宇宙の中の一つの点
人は死んでゆく
また生れ
また働いて
死んでゆく
やがて自分も死ぬだらう
何も悲しむことはない
力むこともない
ただ此処に
ぽつんとゐればいいのだ
◇付録(2011年3月1日)◇
風邪をこじらせたらしい。きのう(2月28日)の朝起きて、なにかをしゃべろうとしたら、声が出ない。歌手の森進一さんどころではない。政治家の与謝野馨、平沼赳夫さんはまだまし。まったく音声にならないのだ。「あ」と言っても、「あ」のかたちの唇から空気が漏れるだけ。のどが痛い。鼻もぐずぐずしている。
おとといの日曜日でなくてよかった。その日午後、いわき市小川町の草野心平生家で「草野天平の集い」が開かれた。「生誕101年」の前日だ。いわき市立草野心平記念文学館から頼まれて、「天平の作品とふるさと」というテーマでおしゃべりをした。
直前に風邪を引いた。集いの日前から常備薬を服用していたが、治らない。かすかにのどが痛かった。それでもなんとか40分ほどしゃべった。頭がぼんやりしていたこともあって、自分の中ではしゃべろうとしていたことの80%くらいしか伝えられなかった。少し後悔した。
その最たるものは、天平の絶筆「私のふるさと」について。天平が口述し、妻の梅乃さんが筆記したものだが、その文章を読んだときの感想として、天平の魂はすでにふるさと・小川に帰っていたのではないか、ということを言いたかったのだが、すっぽり抜け落ちた。
「天平は『歩く人』」という観点で話した。息子の杏平さんもお見えになったが、ご本人にとっては当たり前の父親の姿だったろう。ただ、西行・芭蕉・賢治・ソロー・スナイダーといった「歩く人」の系譜の中で天平を語ることができたのは、私にとっては喜びだった。
おとといの日曜日でなくてよかった。その日午後、いわき市小川町の草野心平生家で「草野天平の集い」が開かれた。「生誕101年」の前日だ。いわき市立草野心平記念文学館から頼まれて、「天平の作品とふるさと」というテーマでおしゃべりをした。
直前に風邪を引いた。集いの日前から常備薬を服用していたが、治らない。かすかにのどが痛かった。それでもなんとか40分ほどしゃべった。頭がぼんやりしていたこともあって、自分の中ではしゃべろうとしていたことの80%くらいしか伝えられなかった。少し後悔した。
その最たるものは、天平の絶筆「私のふるさと」について。天平が口述し、妻の梅乃さんが筆記したものだが、その文章を読んだときの感想として、天平の魂はすでにふるさと・小川に帰っていたのではないか、ということを言いたかったのだが、すっぽり抜け落ちた。
「天平は『歩く人』」という観点で話した。息子の杏平さんもお見えになったが、ご本人にとっては当たり前の父親の姿だったろう。ただ、西行・芭蕉・賢治・ソロー・スナイダーといった「歩く人」の系譜の中で天平を語ることができたのは、私にとっては喜びだった。
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