10月から11月に暦が替わるころ、もらった白菜1玉を八つ割りにして漬けた。白菜は(ほかの葉物野菜もそうだが)、塩をかぶって水分が抜けると小さくなる。まさに青菜(あおな)、いや白菜(しろな)に塩。
途中で、甕(かめ)にしみ出た水分の表面に白い膜(産膜酵母)が張った。塩分が足りなかったり、室温が高かったりするとそうなるらしい。私の白菜漬けはその両方だろう。白菜自身も乳酸発酵が進んで酸味が強くなる。残りをタッパーに移して冷蔵庫にしまい、酸味を抑えながら食べた。
最初の1玉がなくなるころ、また白菜が1玉届いた。いわきの山間部・三和産だ。これも八つ割りにして漬けた。最初の白菜漬けのとき、前に干しておいた柑橘(かんきつ)類を風味付けに使った。皮が厚いから夏ミカンだったかもしれない。
今年の柑橘類が欲しい。一番はやはりユズ。ユズは皮をむいて、生のままみじんにして白菜にちらす。今の時期はそれに代わるものを使うしかない――とブログに書いたら、さっそく後輩がユズを持ってきてくれた。
2回目は食塩、昆布、激辛トウガラシのほかに、ユズを1個添えることができた=写真。いつもは一度に2玉漬けていたから、1玉では漬け込み作業がすぐ終わる。1回目もそうだが、なんとなく中途半端な感じがした。
3日たって水が上がり始めたことを確かめる。おととい(11月12日)朝、甕をのぞくと白菜は水の中に沈み、表面には早くも産膜酵母が張り始めていた。これは急がないと――。まずは試食をして、塩がなじんでいることを確かめる。少し数が減ったら、タッパーに詰めて冷蔵庫にしまうことにする。
減塩による産膜酵母は、ある意味しかたがない。しかし、まだ暖房器具も使っていない台所で白い膜が張る以上は、北側の階段下(といっても室温が極端に低いわけではないが)、そこへ移すしかない。
阿武隈の山里で育った。冬の漬物は家の裏、物置の樽(たる)に入っていたのではなかったか。白菜からしみ出た水も凍るような寒冷な場所だ。そこで白菜はゆっくりと熟成する。わが家では“寒冷度”が足りないのだ。
白菜のほかに、青菜の漬物を食べた記憶がある。農文協刊の『聞き書福島の食事』に、「阿武隈山地の食」が載る。わがふるさとをフィールドにして、聞き書きをした。たくあん、白菜漬けのほか、「へら菜」と「たい菜」の漬物が紹介されている。
へら菜とたい菜は違うのだろうか。ネットで検索すると、へら菜の正式名称は「雪白体菜(せっぱくたいさい)」、しゃもじ菜・たい菜・ゆり菜などさまざまな呼び名がある、漬物にすると歯切れがよく、乳酸発酵が進み、古漬けはべっこう色になって風味が増す、とあった。
それを食べたのだったかどうかは、今となってはわからない。が、土地で栽培された野菜を保存食(漬物)にするのは、その土地の人々の知恵だ。
日露戦争後、兵士が中国北部から種を持ち帰ったのが、日本での白菜栽培の始まりだという。白菜漬けが寒冷な東北地方に浸透するのは、それ以後。私が子どものころ、すでに白菜漬けは主流だったが、その前は青菜系が冬の漬物だったのだろう。白い菜の漬物と青い菜の漬物の記憶が混在しているのは、そんな“歴史”が根っこにあるからかもしれない。
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