2020年11月27日金曜日

「ゴーギャンの赤」

                     
 いわき地域学會の第357回市民講座が3連休の初日(11月21日)、いわき市文化センター大講義室で開かれた。渡邊芳一会員が「草野心平と粟津則雄 『ゴーギャンの赤』をめぐって」と題して話した=写真。

 渡邊会員は今春、市生涯学習プラザに異動したが、それまでは市立草野心平記念文学館の専門学芸員を務め、2019年度は秋の企画展「草野心平と粟津則雄」を担当した。

 粟津さん(93)は日本を代表する仏文学者・文芸評論家だ。美術や音楽にも造詣(ぞうけい)が深い。草野心平と親しかったことから、平成10(1998)年の同文学館開館~去年(2019年)3月まで、20年余にわたって館長職を務めた。翌4月には名誉館長に就いた。いわば上司でもある粟津さんと勤務先の文学館に名前の付く詩人の交友を踏まえて、詩人がいつ「ゴーギャンの赤に哀しみの色」を発見したかを語った。

 東日本大震災の前、いわき地域学會初代代表幹事・里見庫男さん(故人)が経営する温泉旅館古滝屋(常磐)で、粟津さんらを囲む飲み会を定期的に開催した。それで、粟津さんの本を読んだり、朗読コンサートを聴きに行ったりした。なかでも「ゴーギャンの赤」は、粟津さんがたびたび口にし、文章にもしている詩人・草野心平の本質を象徴するエピソードだ。

「いわき市立草野心平記念文学館」館報創刊号(1988年)に収録された講演「草野心平の人と作品」にその経緯が載る。

ある日の早朝、詩人から粟津さんに電話がかかってきた。「君、夕べね、ゴーギャンの画集を見てたんだよ」と切り出す。集英社から『現代世界美術全集7 ゴーギャン』が出版された。粟津さんが「作家論 ゴーギャンの人と作品」を書いた。粟津さんから献呈された画集を見ていたらしい。

「『君、ゴーギャンの赤って、あれ、哀しみの色だね。』私はそれまで、別にゴーギャンの赤を哀しいとも思っていなかったのですが、草野さんに言われるとそんな気がするわけです。『そう思います。』と言ったら、『君、そう思う。』『はい』。『僕、そう思ったんだよ。』実に嬉しそうに笑って、それで電話は終わっちゃった」

 渡邊会員は、心平がいつ「哀しみの色」を感じ取ったのかを、心平の日記から“実証”する。結論は、昭和50(1975)年6月9日夜ではないか――だった。

ゴーギャンに関する記述は、同43(1968)年6月5日、同47(1972)年8月31日、同11月7日などにみられるが、同50年になると5月下旬から6月19日にかけて急に増える。

 6月9日の日記には「河上徹太郎、唐木順三と小林秀雄と朝井閑右衛門にデンワ」「小林にはゴーギャンの赤のかなしさに就いて――みんな迷惑だったらう。何時頃ねたか記憶なし」とある。このへんが決め手になったようだ。

「対象との共生感」。草野心平の本質を評した粟津さんのことばが忘れられない。「草野心平のもっとも本質的な特質のひとつは、ひとりひとりの人間の具体的な生への直視である」。その直視は人間にとどまらない。動物も、植物も、鉱物も、さらには風景も、同じように直視する。この直視から心平は「ゴーギャンの赤」に「哀しみの色」を見いだしたのだろう。

昭和50年5月下旬、学研からゴーギャンについての原稿を依頼される。その準備として画集を見る、粟津さんほかの作家論を読む。6月9日夜、「哀しみの色」に気づく。それを機に、同19日までに「私なりのゴーギャン」と題した原稿が出来上がる――そんな流れが見えてくる。

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