2020年11月2日月曜日

とよまの灯台文化祭

           
 塩屋埼灯台は断崖の先端にある。崖の南は豊間、北は薄磯。もうこの灯台に上ることも、灯台から海を、山を眺めることもないだろう――そう思っていた。わが家の2階はともかく、用があって近所の中層住宅の3、4階に行くと息が切れる。灯台の中だけではない、灯台までの急坂もきつい。垂直に歩くのは避けて、ふもとの海岸から見上げるだけでいい。

 11月1日は灯台記念日。灯台参観が無料になる。この日に合わせて塩屋埼灯台では、「とよまの灯台倶楽部」が明3日まで「とよまの灯台文化祭」を開いている。

 内容は①1~3日=塩屋埼特別資料展、灯台絵画コンクール作品展示、海保PRコーナーなど②3日=オンライン灯台フェス(灯台のふもと・雲雀之苑特設ステージからライブなどをユーチューブで生配信)――で、資料展に少し関係したので、きのうの初日午後、様子を見に行った。

「資料展は灯台下が会場」と聞いていたので、てっきり崖のふもとのどこかで開催していると思い込んでいた。ところが、ふもとにはそれらしい建物はない。土産品と食堂のほかには公衆トイレがあるだけ。遅まきながら、灯台のふもとではなく、崖の上の灯台の最下部、入り口わきの小部屋が会場、と知った。

 ふもとから灯台のある崖の上まではジグザグにコンクリートの階段が続く。若いときはこの急坂も、灯台内部のらせん階段もへっちゃらだったが、もうそんなエネルギーはない。

 前回、灯台に上ったのはいつだったか。撮影データを確かめたら、12年前の平成20(2008)年だった。ハッピーマンデー制度によって7月第三月曜日が「海の日」に定まった。その日に塩屋埼灯台を訪ねている。灯台のてっぺんから薄磯と豊間を撮影した。大津波が集落を襲うのは、それからざっと2年8カ月後。

 参観無料にイベントが重なって、ふもとの駐車場は満パイ、灯台への急坂も、灯台の周辺も行楽客でいっぱいだった。2~3カ月に1回は薄磯で再開した喫茶店「サーフィン」に寄る。海岸道路を利用して灯台のふもとを通る。いつもの日曜日は、行楽客がチラホラといった程度だが、きのうはおそらく1年で最もにぎやかな日になったのではないか。

私も、資料展を見なければと自分にねじを巻いて、カミサンと手すりを推進力に休み休み急坂を上った。万国旗で飾られた白亜の灯台がきれいだった=写真上1。はるか視界の先には水平線が弧を描いている。海は広い。空はもっと広い。背後の陸を振り返ると、薄磯から豊間に抜ける道路の新設工事が進められている=写真上2。

主催者側の海保のWさん、資料展を担当したM君に会ったあと、「とよまの灯台倶楽部」部長のO君を紹介され、名刺を交換した。同じ学校、同じ学科の40年下の後輩で、豊間の友人の息子の同級生だった。

去年(2019年)12月15日、豊間の灯台は点灯から120年の節目を迎えた。それを機に、地元内外の市民や海保などが加わって「とよまの灯台倶楽部」が発足した。「灯台文化祭」が初めての活動だという。

その倶楽部の代表が若い人だったことに驚いた。いや、頼もしく感じた。名刺の住所には豊間の「二見台」とあった。初めて聞く地名だ。津波で海岸集落は壊滅し、そのあとに防災緑地が築かれた。一方で、集落の背後にあった丘が削られ、「高台移転」事業が進められた。その高台にできた住宅地の字名だった。

東日本大震災から間もなく10年。豊間では地域の今とこれからを考える次の世代が育ってきた。とよまの灯台文化祭は、その意味では新しい手法による地域復興事業といってもいいのかもしれない。

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