いわき市立草野心平記念文学館できのう(11月7日)、吉野せい賞表彰式が行われた。今年(2020年)の受賞者は奨励賞の3人=写真。来年(2021年)の同賞作品募集ポスターコンクールで入賞した中学生3人も表彰された。
5人の同賞選考委員を代表して奨励賞受賞者と会食し、表彰式で選評と総評を述べた。私の役割はそれで終わり。表彰式のあとは、NHKの朝ドラ「おはなはん」のヒロインを演じた樫山文枝さんが、「俳優生活を振り返って想うこと」と題して記念講演をした。
樫山さんは映画「洟をたらした神」(1978年)で主役の吉野せいを演じた。同じ俳優の夫・綿引勝彦(旧芸名・洪)さんは、父親の実家がいわき市平駅前の綿引印舗。九品寺(平)に綿引家の墓がある。「私もいずれ九品寺の墓に入るのかな」と、いわきとの縁を語って会場をなごませた。
同映画のロケでは1週間、いわきに滞在した。講演直前、せいの四男・誠之(せいし)さんと再会した。「せいさんにそっくり」と驚いた。
本題では劇団民藝で宇野重吉に学んだことなどを語ったが、ここでは吉野せいの話に絞る。後半は、作品集の表題にもなった「洟をたらした神」を朗読した。「(せいの作品は)朗読するには難しい文章です」という。
確かに。「洟をたらした神」の冒頭部分「ノボルはかぞえ年六つの男の子である。墾したばかりの薄地に播かれた作物の種が芽生えて、ぎしぎしと短い節々の成長を命がけで続けるだけに、肥沃な地に育つもののふさふさした柔根(やわね)とはちがう、むしりとれない芯を持つ荒根を備える」。
「ぎしぎしと短い節々の」「肥沃な地に育つもののふさふさした」あたりは、黙読してもつかえ気味になる。それに、薄地・荒根といった独特の硬い言葉が並ぶ。しかし、それがせいの文体だ。
さすがは俳優、ノボルが松の枝のこぶを使ってヨーヨーをつくり上げる物語を、「朗読劇」に仕立てた。何度も読み返しているので、筋立ては頭に入っている。目をつぶり、耳で“読んで”いると、ここはせいの想像力が組み立てたのではないか、と思われるところが二つあった。
北海道の詩人更科源蔵の本から、せいが子どもたちに読み聞かせたアイヌのことばがある。ノボルは「ユーキカフッテモハンタシテアルイタヨ」(注・雪が降ってもはだしで歩いたよ)と、「短い山彦が菊竹山の横腹から返ってくるほど」大声で、節をつけて繰り返す。菊竹山ではこだまが響くのか、響くような設定にしたのではないか――これはいつか注釈の枠のなかで考えてみたい。
そして、ラストシーン。手づくりヨーヨーを持って「せまい小屋の中から、満月の青く輝く戸外にとび出したノボルは、得意気に右手を次第に反動させて、どうやらびゅんびゅんと、光りの中で球は上下をしはじめた。それは軽妙な奇術まがいの遊びというより、厳粛な精魂の怖ろしいおどりであった」
劇的な、あまりに劇的な――と、朗読を聴きながら思った。これは、せいが作品構成上こうあったらいいと考えた美しい終わり方、つまり幻想ではなかったか。
作品の末尾には「昭和5年夏のこと」とある。ヨーヨーが日本で大流行するのは昭和8(1933)年。それに先立って、いわきの地でヨーヨーがはやったのかと、以前は史実とのズレに振り回されたものだが、今は違う。フィクションとしての仕掛けと知ってからは、昭和5年でも8年でもよくなった。要はおもしろい小説かどうか、それだけ。
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