川内村で陶芸修業中の娘さんからフェイスブックを介して、コンサートの案内が届いた。今年(2020年)2月に亡くなった陶芸家の父親をしのぶ催しだという。11月23日にいわきのアリオスで開かれる。喜んで聴きに行くことにした。
娘さんは川内のモリアオガエルを題材に、「もりたろうTシャツ」をデザインした。胸にカエルのまなことローマ字で「川内村ってどこさあんだ」、くるっと回って背中を見せれば、川内村を緑色で表示した福島県の白地図とローマ字で「ここさあんだ」。DOKOSAANDA―KOKOSAANDA。このリズミカルな頭韻と脚韻、方言を逆手に取った図柄。若い人ならではのセンスと発想がおもしろい。
娘さんも母親(やはり陶芸家)もコンサートを聴きに来る。Tシャツと、父親がつくった額も販売するという。
朝にそんなやりとりをしたところへ、今度は去年の台風19号で借家の1階が水没し、今は沿岸部の災害公営住宅に仮住まいをしている友人の娘さんが近況報告にやって来た。
父親が亡くなったあと、週末の夜だけ営業していたカレーの店を再開したこと、自分の娘が大学受験の時期を迎えたこと、街場に近い住宅団地の空き家を手に入れ、リノベーションをしてから入居する予定でいること、などなど――話は尽きなかった。気がついたら3時間、時計の針は正午を大きく回っていた。こんなに時がたつのを忘れて話をしたのは久しぶりだ。
浜通りの人間は東日本大震災と原発事故に打ちのめされ、去年は台風に襲われた。今年はコロナ禍が追い打ちをかける。わずか10年弱の間に大きな災禍を3回も経験する、なんてことがあっていいはずがない――と神様を恨みたくなるが、それでも人は働き、学び、暮らしていくしかない。
この日(11月4日)は朝からテレビのBS1を付けっぱなしにしていた=写真。アメリカの大統領選挙の開票状況を、向こうのテレビ局(ABC)と結んで、NHKが夕方まで生中継した。
ネットで調べものをしているときも、遅い昼食の時間にも、チラッ、チラッと画面に目をやって「選挙人」の数を確かめる。これではハワイ州のはるか西にある「ジャパン州」の人間ではないか――自虐的な思いにもなるが、今回の大統領選はなぜか気になってしかたがない。
ときどき画面を見ていて感じたのは、これはこれでテレビ的にも4年に一度の一大イベント、あるいは一大エンタテインメントなのだ、ということだった。どっちに転んでも、それはそれで気持ちを高ぶらせる。大接戦となればなおさらだ――という話はひとまずおいといて、開票から3日がたつのにまだ勝敗が確定しない。
選挙人の数で負けている側は、郵便投票に関して訴訟を連発した。制度を、国民の意志を否定するのと同じではないか。(けさの新聞によると、証拠のない訴訟はさすがに却下されたようだ)
そんなことが民主主義を標榜(ひょうぼう)する国で通用するはずがない、悪あがき、往生際が悪い――そう思う一方で、はたと気がついた。これはプロレスでいう「場外乱闘」ではないか。そういう思考の持ち主なのだろう。しかし、現実はプロレスの世界のように単純ではない。不誠実、その一言に尽きる。
向こうのテレビは日本時間のきのう、ホワイトハウスでの大統領の会見を途中で打ち切ったそうだ。理由は「虚偽」ないし「誤った主張」をそのまま流すわけにはいかない、ということのようだった。
やけくその権力者に比べたら、庶民の生き方は洋の東西を越えて慎ましい。おおかたは思いやりがあって、考え深い。同じ日にフェイスブックでやりとりした娘さん、家に来た娘さんとの話を思い浮かべて、気持ちを切り替えた。
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