例年だと6月に実施していたのが、今年(2020年)は新型コロナウイルス問題で秋に4カ月ほどずれこんだらしい。地元の小学校の2年生が地域に出て、商店や郵便局を訪ねる「町たんけん」が先日(10月28日)行われた。わが家(米屋)へも、マスクをかけた4人ほどのグループが2組、引率のPTAのお母さんとともに時間をおいてやって来た。
カミサンと小学生のやりとりが奥の茶の間へも聞こえてくる。「なにを売っていますか」「米と塩、ほかにみそやあめも」。型通りの質問が終わったあと、1人が声を上げた。「ウルトラマンレオだ!」
店の壁際に、孫2人(中1と小5)が持ってきたウルトラマンたちのフィギュア(人形)が並んでいる=写真。カミサンが一種のディスプレイとして飾った。売り物ではない。
最初、このフィギュアは孫の父親が子どものころに集めたものと思っていた。実写かアニメかはともかく、そのころならまだテレビでウルトラマンが放送されていたからだ。カミサンに聞くと、孫のものだという。
ウルトラマンには兄弟がいっぱいいる。ウルトラセブン、ウルトラマンタロー、ウルトラマンレオ……。私は区別がつかない。が、小学生にはレオも、タローも、セブンも一目でわかるのだろう。私が知っているのはウルトラマン、なかでも「帰ってきたウルトラマン」だ。その記憶が鮮明によみがえる。
――「帰ってきたウルトラマン」が放送された昭和46(1971)年春、新聞記者になった。平の旧城跡にあるアパートに住んだ。大家さんの孫(当時5歳くらいの女の子)が庭で、「帰ってきたぞ 帰ってきたぞ ウルトーラマン」と、よく歌っていた。日曜日の夕方、その女の子と平駅(現いわき駅)の跨線橋(平安橋)まで、電車を見によく散歩に出かけた。
ウルトラマンが好きな女の子は成人して結婚した。一度、お母さんと一緒にわが家を訪ねてきたことがある。「お兄ちゃん」のことをちゃんと覚えていた。――(この二つの連は前に書いた拙ブログからの引用)
半世紀前に子どもだった人間ならともかく、なぜ現代の子どもまでウルトラマンを知っているのか。ウィキペディアによると、漫画は今も連載が続いている。ウェブではアニメを見ることができる。つまり、今でも子どものヒーローであり続けているのだ。だから、一目見て「レオだ!」となったのか。孫たちが一時、フィギュアに夢中になったとしても不思議ではない。
ローカルニュースによると、おととい(11月3日)、ゴジラやウルトラマンの特撮で知られる故円谷英二監督のふるさと・須賀川市に、「須賀川特撮アーカイブセンター」がオープンした。ウルトラマン関係では、撮影に使われた人形などが展示されているという。ウルトラマンはもはや、子どもだけでなく、大人にとっても「不滅のヒーロー」のようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿