2021年11月15日月曜日

映画「失われた春 シイタケの教え」

        
 若い知り合いから連絡がきて、長編ドキュメンタリー映画「失われた春 シイタケの教え」を見た。会場はJR常磐線湯本駅前にあるミニシアター「Kuramoto」。初めて訪れた。

阿武隈高地は、東日本大震災に伴う原発事故が起きるまでは、シイタケ原木の一大供給地だった。原木シイタケ栽培農家も多かった。

歴史も古い。文献によると、いわき地方では、江戸時代後期にはシイタケ栽培が行われていた。先進地の伊豆半島から出稼ぎ人がやって来て、栽培を指導した。二ツ箭山=写真=の奥、戸渡(小川)にはシイタケ山があった。

監督の写真家田嶋雅巳さんは7年の歳月をかけて、放射能汚染と向き合う阿武隈の原木シイタケ栽培農家と、原木を伐採して出荷する林家の日常を追った。この映画の撮影のために阿武隈の山里に近い郡山市に移り住んだという。

阿武隈の里山はクヌギやコナラを中心にした雑木山だ。高度経済成長期の前は、25年前後の周期でこれらの木を伐採し、マキや木炭にした。切り株にはひこばえが伸びる。山の持ち主はこれを育て、また25年ほどたってマキや木炭にした。木の生命力を生かした循環型の燃料調達システムだった。

私は阿武隈の山里(現田村市常葉町)で生まれ育った。雑木山が子どもたちの遊び場だった。そこで年上の子に教わりながらアケビを採ったり、肥後守で小さなこけしを作ったりした

母親の実家がある都路村(現田村市都路町)へ行くと、家のすぐそばが雑木山だった。炭焼き窯があった。杉林の中では原木シイタケの露地栽培が行われた。昭和30年代前半、子どもたちは雑木山の伐採やシイタケ栽培、炭焼きなどを日常的に見て暮らした。

いまだに鮮明な記憶がある。都路から木炭を満載したトラックが毎日、家の前の道路(国道289号)を通った。東北本線の郡山駅経由か、磐越東線の船引駅経由かはわからないが、貨車で首都圏へ送られたのだろう。

エネルギー革命でマキと木炭が消え、さらに石炭から石油へと替わったあとの、阿武隈の雑木山の姿はほとんど記憶にない。15歳で平市(現いわき市平)へ移ったからだ。

この映画はその空白を埋める。木炭からシイタケへと、山の活用の仕方が変わっていた。私の子どものころの記憶と「地続き」になった。夏の青空をバックに葉タバコのピンクの花がアップされる、移ケ岳が映る……。これは変わらない。

ふるさとの里山が日本におけるシイタケ原木の主な供給地と知ったのは、原発事故のあとだった。

去年(2020年)1月、東京新聞が「広葉樹の里山で人は 福島・阿武隈」というタイトルでルポ記事を連載した。サブタイトルは<失われたシイタケ栽培>。今回の映画と内容が共通する。

ルーツが阿武隈だからだろう、私はこのごろ、野生キノコの視点で世界を見ることが大事だと思っている。原発事故以来、野生キノコを採取し、口にする「自然享受権」が奪われたままになっている。そのことが大きい。

この映画の根底にあるのも、たぶん同じだ。栽培シイタケを介した人間の悲しみと怒りがよくわかった。

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