2021年11月27日土曜日

新評伝『北里柴三郎』

           
 総合図書館の新着図書コーナーに、上山明博『北里柴三郎――感染症と闘いつづけた男』(青土社、2021年)=写真=があった。

 北里の最初の高弟はいわき市渡辺町出身の高木友枝(1858~1943年)。長木大三『北里柴三郎とその一門』(慶應通信)が平成元(1989)年に出る。そこに高木は載っていない。その3年後、高木の遺族から資料の提供を受けて、長木は高木の章を加えた増補版を出す。

 それで初めて、高木は赤痢菌を発見した志賀潔(1870~1957年)などに先んじて、「北里の高弟として筆頭に挙げるべき人」(長木)という認識に変わった。

 長木の増補版からざっと30年がたつ。『北里柴三郎――感染症と闘いつづけた男』には、高木についての新しい知見が盛り込まれているはず。そんな期待をもって、すぐ借りた。

 そもそもなぜ今、北里柴三郎か。著者の「あとがき」に理由が記される。「2020年2月、日本で初めて新型コロナウイルス感染症による死者が発生しました。そのことを大きく報じるテレビを視聴しながら、真っ先に私の脳裏に浮かんだのは、世界から『感染症学の巨星』と称揚された北里柴三郎です」

2年前、新型コロナウイルス感染症が中国から周辺国に広まり、あっという間にパンデミック(世界的大流行)になった。人々は「巣ごもり」(ステイホーム)と「3密」(密閉・密集・密接)の回避を求められ、経済が停滞した。

いわきでも事情は変わらない。緊急事態宣言、感染防止一斉行動、小・中学校の一斉休校、公共施設の原則休館などを経験した。いわきサンシャインマラソン大会や小名浜全国花火大会、いわき七夕まつり、いわきおどりその他、地域の行事も中止になった。

そうしたなかで出版された「書き下ろし評伝ノンフィクション」だ。最初に巻末の索引で高木が出てくるページを確かめてから読み始める。本文はざっと370ページ。大冊なので、時間をつくっては集中してページを繰る。以下は3分の1ほど読み進めた現時点での感想。

 明治27(1894)年、広東と香港で「黒死病(ペスト)」らしい疫病が発生する。政府から香港へ調査に派遣された北里は、現地の病院で研究を始めるとすぐ、ペスト菌を発見する。そのへんの状況が詳細につづられる。

 小説ではアルベール・カミュの『ペスト』、絵画ではピーテル・ブリューゲルの「死の勝利」。文学や美術の世界で繰り返し表現されてきたように、人類は何度も黒死病に襲われた。

 その恐ろしい感染症の正体を、北里が突き止めた。それだけでなく、のちのちの感染対策にも大きく貢献した。この本を読み進めていて、やっと北里の偉業に思いが至った。歴史と文学と現実が重なった。

 明治29(1896)年、高木は日本初のペストかどうかを調査するため、北里の指示で横浜へ出向き、警察立ち会いのもと、墓を掘り起こして死体の病理解剖を行い、ペスト菌を検出した。このあと、適切な除染作業が行われ、感染拡大を未然に防ぐことができたという。

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