2021年11月24日水曜日

環境文学

                                
 年金生活者になってから、本は図書館から借りて読むものに変わった。それでも新書を中心に、年に何冊かは本屋へ行って買う。ネットでの購入はやらない。その場でパラパラやって「買う」「買わない」を決める。

 いわき駅前再開発ビル「ラトブ」に入居している総合図書館で本を借りたあと、カミサンが本を買うというので、階下のヤマニ書房へ寄った。

地元出版物コーナーをのぞき、小説コーナーで背表紙をながめていたら、読んだことのある本が目に入った。イタリアの『帰れない山』=写真、そして台湾の『複眼人』、アメリカの『ザリガニの鳴くところ』。ほかにも、同傾向の内容を想像させるようなタイトルの本が並ぶ。

『帰れない山』はパオロ・コニェッティ/関口英子訳(新潮社、2018年)。『複眼人』は呉明益/小栗山智訳(KADOKAWA、2021年)。『ザリガニの鳴くところ』はディーリア・オーエンズ/友廣純訳(早川書房、2020年)。

最近、日本で翻訳・出版された本、つまりは現代の海外文学だ。山の小説、海の小説、湿地の小説。自然と人間の関係を濃密に描いていることで共通する。

別の本で紹介されたり、注釈にあったりして興味がわき、図書館から借りた。知人が貸してくれたものもある。いずれも「環境文学」として読んだ。

若いときから「ネイチャーライティング」に引かれてきた。井上健東京大学名誉教授によると、ネイチャーライティングとは「自然環境と人間の対話、交流、共生を目指すことを主要なモチーフとする小説、詩、ノンフィクション、エッセイなど」のことだ。

米国で、1970年前後に確立したジャンルとかで、「地球規模で進行する自然破壊という現実を前に、ネイチャーライティングは全世界的な注目を集める」ようになったそうだ。

ネイチャーライティングはソローの『ウォールデン 森の生活』に始まる。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』も、もはやこの分野の古典といってよい。日本には石牟礼道子の『苦海浄土』がある。

ヤマニ書房のラトブ店に、書棚の一部とはいえ現代の海外文学がそろい、知っている本が環境文学だったのはたまたまだろうか。本の流通側がそうしたテーマを打ち出し、書店側もそれに応じた?かどうかはともかく、久しぶりに本屋で心がときめいた。

文学は、そのときそのときの社会や人間が抱える問題をあぶり出す。東日本大震災と原発事故が起きると、プロ・アマを問わず、「震災文学」が生まれた。この10年、いわき市の「吉野せい賞」の応募作品にもそうした作品が目立った。

 気候変動で地球が深刻な状況になっている。具体的な対策は政治の問題だが、文学は危機的な状況を「物語」として提示する。スウェーデンのグレタのように、若い世代が環境問題に声を上げ、行動する時代。それと呼応するように環境文学が読まれているのかもしれない。

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