2021年11月19日金曜日

「一所懸命」と「一生懸命」

        
 共同通信社の『記者ハンドブック 新聞用語集』では、「一所懸命」は使わない、「一生懸命」に統一する、となっている。NHKも同じだ。

それですっかり「一生懸命」に慣れてしまった。しかし、ほんとうはもっと「一所懸命」を意識して使ってもよかった。

取材エリアと配達エリアが重なるいわき市の地域新聞社にいたので、記者には「一所懸命」が求められる。今ならそう言える。生活者としては「一所定住」、転勤による引っ越しを経験しないですんだ。

平の街=写真=は、その意味ではホームタウンだ。夜はたびたび飲み屋街(田町)に繰り出した。そもそも職場が田町にあった。

全国紙や県紙の記者は、こうはいかない。転勤が付いて回る。「一所不住」だ。若いころ、よく一緒に田町で飲んでは不住と定住の長短・よしあしを考えたものだ。

「風来坊」は各地を見聞しているが、来たばかりの土地のことは知らない。「自然薯」は同じ風景や声にしか接していないが、根っこは深い。

その自然薯が、「懸命」に生きてきたかどうかはともかく、「一所」で「一生」をしめくくる時期にきた。

 図書館から『池澤夏樹の旅地図』(世界文化社、2007年)を借りて読んだ。「旅とトポス」という章から始まる。トポスとは場所のことだ。作家はこう書き出す。

「『一生懸命』という言葉がある。/これは本来は『一所懸命』だった。一つ所に命を懸けること」とあって、中世の封建制が語源になっていることを説明しながら、広辞苑に載る意味「賜った一カ所の領地を生命にかけて生活の頼みとすること」を紹介する。

 本文はそのあと、移動(旅=難民の始まり)と定住の歴史に触れるのだが、まずは書き出しに刺激を受けて、わが来し方を振り返ってみたのだった。

先祖伝来の土地でもいい、自分で購入した土地でも借地でもいい、そこに住み暮らして命を全うする――「一所懸命」を、主従関係など抜きにして今風にいえば、そうなる。

特にこの10年は、「一所懸命」を瞬時に壊した文明の災禍(原発事故)について考えずにはいられなかった。住み慣れた土地を追われた人々は十数万人に及ぶ。

同じ年の1月、シリアで騒乱が起き、内戦に発展した。「国外に逃れられた人々はまだいい方で、国内で居場所を奪われた国内難民は、760万人にも上る。国外、国内を合わせると、シリアで難民化している人たちは、人口の半数を超える」という事態になった(酒井啓子『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』みすず書房)。

災害や戦争がなければ、「難民」化せずにずっとふるさとに住み続け、「一所定住」と「一所懸命」の人生を全うできたはずの人々だ。

吉野せいの『洟をたらした神』はいわきをフィールドにした「トポスの文学」といってもよい。作品「赭い畑」にこんな言葉が出てくる。「自分たちの生きる場所はここより外にない。世界中の空間にここより外はない」

吉野せい賞表彰式のあとの記念講演で女優秋吉久美子さんが紹介した。これも「一所懸命」を考える契機になった。

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