2022年1月24日月曜日

いわきの「カフェー、バー」下

                     
 いわき地域学會幹事の小宅幸一さんは『いわき発・歳月からの伝言』というタイトルで、「いわきの百科事典」づくりを進めている。あいうえお順に、10年をかけて毎年1巻ずつ発行する計画を立てた。第1巻は令和2(2020)年秋、第2巻は同3年師走に発売された。

1巻は「あ~お」までの「あ行」を網羅した。が、2巻は「か」でいっぱいになった。「か行」だけで計3巻になるらしい。10年どころか、「生きている限りは出し続ける」覚悟でいる。

1月22日に開かれたいわき地域学會の市民講座では、自著を紹介しながら、第2巻に収めた「カフェー、バー」について解説した=写真。

大正時代の西洋料理店「乃木バー」の話から始めた。それについてはきのう(1月23日)、拙ブログを再掲しながら紹介した。

勉強になったのは「カフェ」と「カフェ―」の違いや歴史的な変遷だ。大正時代になると、カフェは大衆化した「喫茶店」と、主として女性が給仕して酒を提供する「カフェー」に分化する。「バー」という言葉も登場する。「乃木バー」はこの時代に誕生した。

新聞は時代の流れや世相を色濃く反映する。カフェ、あるいはカフェー、バーに関する記事と広告は貴重な史料だ。

いわき総合図書館には、元私設図書館三猿文庫」の資料が収められている。同文庫の特徴は、いわきの地域新聞や出版物、近代の雑誌創刊号などを数多く保存していることだ。いわきの近現代史、あるいは地域メディア、文学を研究するうえで欠かせないライブラリーになっている。

地域新聞はあらかた電子化されて、いつでも、どこからでも図書館のホームページにアクセスすれば閲覧できるようになった。私はこれをしょっちゅう利用している。

小宅さんもこれらの史料を取り入れ、当時の税制、取り締まり状況などをからめて、いわきの料飲業界の歴史を追った。

カフェーは「平和産業」だ。戦時色が濃くなると姿を消す。昭和12(1937)年12月ごろのカフェー業界について、当時の「磐城新聞」は地元警察の、次のような見解を伝えている。

「東京等でも漸次喫茶店への転向者が続出してゐるさうだ。地方では純喫茶でトテモ商売にならぬだらうから、勢ひおでん屋とか此種飲食店へ商売替えするわけだ。マアこれが新時代の要求なんだらう」

そして、戦後。高度経済成長の息吹とともに、酒文化が多様な展開をみせる。パブ、キャバレー、クラブ……。カフェーという言葉はもはや時代遅れになった。

バーとは異なったスナックも登場する。その写真に私と同僚、友人が写っていた。撮影者も同僚だ。

小宅さんとは資料の貸し借り、情報の交換をしあう間柄なので、こうしたときにはそれこそ信頼と信用の間でことを進める。写真の入手経路も承知している。

撮影年月からすると、私は40歳だった。職場が飲み屋街に接してあった。毎週のようにスナックに通った。で、その写真をめぐって私が当時の状況を説明し、それに対する応答があって、また盛り上がったのだった。

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