森を巡る。野原を行く。海辺を歩く。自然に身を置くとき、たまに思い出す言葉がある。来たときよりきれいにして帰る――。
東日本大震災と原発事故が起きる前はたびたび森を巡った。目当ては花やキノコ。まずは写真を撮る。食べられるキノコはありがたくちょうだいする。
ところが……。林内の遊歩道に、あるいは思いもよらないようなところに、清涼飲料水の空き缶や食べ物の包装紙などが落ちている。
自然界にはない「アキカンタケ」を見ているうちに手が動くようになった。自然の恵みをいただくお返しに、人間が捨てていったごみを拾って持ち帰る。まずは一つ。一つでいい。ごみが一つ減った分だけ、森の環境はよくなる。
いわきでは6月と10月の年2回、「まちをきれいにする市民総ぐるみ運動」が行われる。それでいっとき、家の周りや道路から空き缶・ビン、プラスチックの容器類などが一掃される。
震災前には夏井川渓谷で「カントリー(缶取り)作戦」を展開する市民グループもいた(今も活動しているかどうかはわからない)。
「田舎の美しい風景を守りたい」。川前町で田舎暮らしを始めた人が渓谷の美化活動を呼びかけたら、手を挙げる人が続出した。「川前発 夏井川をきれいにしてみま専科」というのがグループ名だったと記憶する。
そのころ、小川町商工会などが主催して「夏井川渓谷紅葉ウオーキングフェスタ」が開かれた。地元集落の住民が案内人になった。週末だけの半住民である私も案内人に加わった。
夏井川第二発電所のある対岸へ渡り、「阿武隈高地森林生物遺伝資源保存林」の遊歩道約2.5キロを往復した。スタート地点にある水力発電所も、ウオーキング参加者に限って公開された。折り返し地点では上流から岸辺に流れついたごみを拾い集めた。
「みなさんはきょう、森を巡る際の鉄則を実践しました。それは、『来たときよりきれいにして帰る』です。きょうは森も喜んでますよ」。班を解散するときに案内人としてそう締めくくった。
ハマの場合も事情は変わらない。令和2(2020)年に「とよまの灯台文化祭」が開かれたとき、「とよまの灯台倶楽部」部長のO君を紹介された。
O君らは海岸の美化活動も続けている。先日、薄磯海岸を歩いたとき、牛乳瓶のかけらが半分、砂に埋まっていたのを見て彼らの活動を思い出した。
そのままにしてはおけない。拾って周りを見ると、やはりプラスチックの容器などが半分埋まった状態であった。
ふだんは防波堤から海を眺めて終わりなのだが、この日はカミサンがさっさと砂浜に下りて貝殻を拾い出した。
しかたない。砂浜に下りたら、ごみが目に留まった。そのとき不意に、「来たときよりきれいにして帰る」という言葉がよみがえり、四つほど拾って家に持ち帰ったのだった=写真。
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