阿武隈高地の田村市には、征夷大将軍坂上田村麻呂にまつわる伝説が多い。大半は大滝根山を本拠地とする賊(鬼)の首領、大多鬼丸(おおたきまる)との戦いに関するものだという(田村市ホームページ)。
私は大滝根山の北西麓の町で生まれ育った。小学校のころに伝説を知り、田村麻呂は正義、大多鬼丸は悪――という考えが刷り込まれた。
ところが、大人になって「正史」とは別の「郷土史」に触れ、見方が一変する。大多鬼丸は侵略者から民を守るために戦って死んだ地元の豪族だった。
伝説の鬼とは中央の権力に抵抗する地方の英雄、阿武隈ではその先住民のリーダーだ。となると、阿武隈の人間は「まつろわぬ鬼」の末裔ということになるか。
なぜこんな話を持ち出したかというと、BS日テレで毎日、「オスマン帝国外伝――愛と欲望のハレム」を見ているからだ。
私の頭にしみついていた「世界史」はヨーロッパ中心史観とでもいうべきもので、それ以前に大きな力を持っていたイスラム世界の歴史がすっぽり抜けている。
14世紀から20世紀初頭、小アジアからバルカン半島、地中海にかけて支配し、キリスト教世界を脅かしたイスラム教スンニ派の大帝国があった。
それがオスマン帝国。大多鬼丸が鬼から英雄になるように、オスマンの側に立てば世界史もまた違って見える。
テレビでは、16世紀、オスマン帝国の黄金時代を築いた皇帝スレイマンと、元キリスト教徒の奴隷身分から皇帝の寵姫(ちょうき)となり、やがて正式な后(きさき)となったヒュッレムを軸に、骨肉の後継争いと愛憎劇が展開される。
ドラマを見ているだけではよくわからない。前のシリーズが放送されたとき、カミサンが買って読んでいた『オスマン帝国英傑列伝』(幻冬舎新書、2020年)=写真=を手元に置いている。話がこんがらかると、ときどき開く。むろんドラマはフィクションだから、史実とは異なる。
『オスマン帝国英傑列伝』では、ヒュッレムに1章を割いている。「美貌より快活さを魅力とした魔性の女」「スレイマン、イブラヒムとの緊張の三角関係」「西太后やマリー・アントワネットとならぶ悪女に描かれた理由」といった見出しが並ぶ。
「ヒュッレムは、同時代から現在にいたるまで、稀代の悪女として描かれてきた」。しかし、と著者はいう。「悪女であると伝える史料ばかりが伝存しているため、こうしたイメージを否定することも難しいが、すくなくとも一方的な評価を下すべきではなかろう」
悪女はなぜか人々の心をひきつける。トルコでは2011~14年に放送され、人気を博した。「トプカプ宮殿を舞台に、豪奢な衣装を身にまとったハレムの人々の、華やかでいて陰湿な、激しい人間模様が話題を呼び、トルコのみならず全世界で大ヒット」したという。
本筋とは全く関係ないが、このところ、ピンポイント的にコーヒー豆の話が出てくる。カフェはこの時代、トルコの首都から始まったようだ。いわきのカフェ、あるいはカフェーの歴史を勉強したばかりなので、併せて起源を検索したらわかった。
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