いわき市好間町川中子(かわなご)出身の詩人猪狩満直(1898~1938年)の内郷村小島時代を調べている。
昭和6(1931)年12月から同9年6月までの2年半、年齢からいうと33~36歳のことだ。
文献は今のところ、小島在住時の若い仲間、故坂本義果さんがいわきの詩誌「詩季」に連載した回想録と、『猪狩満直全集』(猪狩満直全集刊行委員会、1986年)の二つ。
全集に、小島時代の作品(詩・小説・随筆など)と、満直が提案して実現した「共同田植え」の写真などが載る。坂本さんも「詩季」でその経緯に触れた。
北海道の開拓生活を切り上げて帰郷した満直一家は、キリスト教の仲間のツテで小島のある家の隠居所を借りて住み、間もなく別の土地に家を建て、養鶏を始める。水田も2反を小作した。
ある冬の夜、地元の若者(坂本さんら)3人と満直がいろりを囲んで茶飲み話をしていた。
金融恐慌、経済不況で就職はおろか、大量に失業者が出ていた時代。メシの食えない百姓も続出している。
「このままでは百姓は自滅する。百姓が協力して実行組合をつくり、そこから徐々に改善していくのはどうか」
満直はムラの長老たちも説得し、農業実行組合を組織する。それが昭和8年3月。肥料や日用品の共同購入にとどまらず、6月には共同田植えも行われた。
共同田植えは当時の地域新聞に取り上げられるほど珍しいことだった(どの新聞かは確認中)。満直が長野県に職を得たあとも、何年か共同田植えが続いた。
坂本さんは、アナキスト猪狩満直が「詩人としてではなく、農民としてどのようにアナキズムの実践に向かったか」を主題に書く。
「満直さんの主張するアナキズムによって(略)共同労働、相互扶助を作ってゆく。特に相互扶助については熱っぽく語ると共に、実行組合も方々で出来ている現在、どうしても自分たちの手で作ってゆかねばならない。農村の恐慌時こそ組合を作って凶作(昭和7年)から自分を守らねばならないと思うんだ」
満直本人の言葉に従えば、アナキズムとは「実質的具体的自由連合主義」のことである。「それは農村では小作組合とか農民組合等々であり、都市にあっては、それぞれ、その職業によって形づくられる職業組合、労働組合等々。(略)自由合意による結合連合であり、集合団体だ」
実は師走に入ったある日、新聞でアナキズムに新しい光を当てる人類学者がいることを知った。その記事を読んで、真っ先に小島の「共同田植え」を思い出した。この視点から満直を再評価できるのではないか。
大みそかに鹿島ブックセンターへ行って、松村圭一郎『くらしのアナキズム』(ミシマ社、2021年)を買った=写真。
大災害直後、警察や消防の「公助」は当てにならない。隣近所の「共助」で救われた命がある。それこそが「くらしのアナキズム」の原点。
無力で無能な国家のもとで、どのように自分たちの手で「生活」を立てなおし、下から「公共」をつくりなおしていくか(「はじめに」)――。満直はこれを89年前に実践した。元日からワクワクしながら、『くらしのアナキズム』を読んでいる。
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