元日の朝一番の“仕事”は、新聞折込チラシの枚数を数えること。県紙は56枚、全国紙は34枚だった。
2018年からの5年間では、県紙が68―59―69―59―56枚、全国紙が40―36―41―45―34枚。数字からなんらかの傾向が読み取れるようなことはないが、今年(2022年)はこの5年間で最少だった。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2020年2月以降、新聞折込チラシが激減した。で、そのころから元日だけでなく、毎朝、チラシの数を記録するようになった。
同年5月までの状況はこんな感じだった。4月下旬には全国紙・県紙とも1~2枚だったのが、5月に入ると少し数を増やし、月の前半までは多くて5枚、緊急事態宣言解除後は少し増えて8枚という日もあった。
折り込む新聞が決まっている月刊のフリーペーパーは減ページになり、6月休刊を予告するものも出た。飲食店は広告を出すどころではない、そんな状況を反映していたようだ。
5月の新聞代集金時、販売店がチラシを置いていった。このままでは販売店の経営維持が厳しいので、経費節減に取り組んでいる。その一環として、集金時に配っていたごみ袋などのサービスを中止する――。
パチンコ店は新聞折り込みの常連だ。一時、チラシの自粛が続いたが、クラスターの心配が消えたころから、徐々に復活した。
それから2年ほどたった今も、新聞を読む前にチラシの枚数をチェックする。けさ(1月3日)は県紙、全国紙とも5枚だった。
パチンコ店のチラシがあれば、必ずその枚数も記す。不思議なもので、パチンコ店は週末ではなく、週半ばにチラシを入れる。しかも、ほとんどが片面印刷2枚折り。その片面をブログの下書きに利用している。
さて、今年の元日は初日の出ならぬ、初月の出から始まった。午前4時半ごろ、新聞を取り込むために玄関を開けると、東斜め向かいの家の上に、爪の先ほどの「暁月」が浮かんでいた。月齢は27.8日。新月(1月3日)前の最後の輝きだった。
晴れたのはいいが、強風が吹き荒れた。このごろは風のうなりに脅威を感じることもある。屋根の瓦が吹き飛ばされるのではないか、そう思わせるような轟音だった。
庭のスイセンは師走のうちに咲き出した=写真。その後の風で倒れたものもあったが、つぼみを膨らませた花茎は元日の風にも耐えて立っていた。
2日にカミサンの実家へ新年のあいさつに行くと、義弟たちが口々に元日の風の怖さを語っていた。竜巻はたぶん、この強風の何十倍ものエネルギーを秘めているのだろう。それを想像させるような“凶風”だった。
元日の朝は雑煮と決まっている。それを食べたあとは、家で静かに過ごした。例年なら昼前には玄関から声がかかって年賀状が届き、すぐ宛て名書きを始めるのだが……。バイクの音がして声が聞こえたのは夕方だった。元日、強風、年賀状。いつにもまして郵便配達員さんに同情の念がわいた。
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