朝7時に花火が2発。9時にも2発上がった。まだ正月前半の13日。考えられるのはわが区から二つ先の区(平・塩)にある福一満虚空蔵菩薩の初縁日だ。
10時過ぎに用があって街へ出かけた。旧道から国道399号(旧国道6号)に出ると、ほどなく虚空蔵尊のそばを通る(同じ境内に熊野神社がある)。
後続車がないのを確かめて減速する。やはり、そうだった。境内の奥には紅白の幔幕。国道側では大きな穴から火と煙が立ち昇り、参拝者が風上に立って暖をとっていた=写真(助手席からカミサンが撮影)。
国道に面して幟が立っていた。立て看板には「丑寅(うしとら)生れの守護本尊/福一満虚空蔵菩薩/正月十三日初縁日」などと書かれている。火を見守っているマスクの男性は知り合いだった。
神谷地区(旧神谷村)は8行政区からなる。塩もその一つ。区長協議会の場でいろいろ情報を交換する。それで虚空蔵菩薩と地域のかかわりが、なんとなく頭に入っていた。
帰りは正午近くになった。いつもなら神社の南方、夏井川の堤防を利用するのだが、初縁日の様子を脳裏に焼きつけるためにまた国道を通った。
中神谷に住んで40年余になる。区が違うので、塩地区の正月のイベントは見たことがない。この日、この瞬間は、川にいるハクチョウよりも人間の営みが大事――そう思って眼福にあずかった。
午後は昼寝をし、午後2時半からはBS日テレの「オスマン帝国外伝――愛と欲望のハレム」を見る。前はカミサンがそばで見ていても興味がわかなかったが、だんだん権力と人間の愛憎劇に引き込まれていった。
今ではNHKの大河ドラマを超える大河ドラマと勝手に解釈している。というわけで、この時間には何も手につかない。
終わって、また外出した。旧年中からの約束だった白菜漬けを後輩のところへ届ける。この冬は最初の白菜漬けが塩分過剰で失敗した。2回目は食塩を減らしたのでまあまあだったが、人に上げるほどの出来ではない。
3回目、塩の振り方を株元へ、ではなく、株元から葉先へと変えてみた。それがよかったのかどうか、やっと進呈してもいいかなというものができた。
後輩は滑津川下流域に住む。家の前の畑で片付け作業をしていた。塩の虚空蔵菩薩の話をすると、やはり地元の虚空蔵尊で集まりがあったらしく、日中はそちらへ手伝いに行っていたという。ネットで確かめたら、田んぼが広がる先の森にお堂があった。
畑にある白菜と大根をもらったあと、同じ道を戻る。晴れていれば、二ツ箭山~三森山の稜線が見えるのだが、中腹まで雪雲がかかっていた。雪が吹っかけているのがわかった。
この3日間、浜通りには珍しい風雪注意報が出されていた。「小正月」のきょう15日は静かな朝を迎えた。
1月中旬の日曜日には毎年、ある寺の境内で「初観音」に併せてフリーマーケットが開かれる。コロナ禍が起きるまではカミサンも参加していた。
コロナの第6波がいわきにも及び、またまたそれぞれに行事の中止や延期を判断しないといけない時期に入った。
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