きのう(4月10日)の日曜日はとにかく暑かった。シャツとズボンは冬物。日なたにいるだけで汗がにじんだ。体が気温の急上昇についていけない。ということで、本題も年齢と体力にからむ話――。
限界集落の現実というべきか。きのう、夏井川渓谷の小集落・牛小川で最後の「春日様」のお祭りが開かれた。
お祭りといっても、神主が来たり、みこしが出たりするわけではない。集落の裏山に小さなやしろ(春日神社)がある=写真上1。常住している8軒から各1人、それに週末だけ集落内にある隠居で過ごす私が加わって参拝し、終わってヤドで直会(なおらい)をする。それだけ。
私がお祭りに参加するようになったのは、隠居へ通い始めた四半世紀前だ。40代後半だった。今は70代前半。急斜面の中腹にあるやしろへお参りするのが年々きつくなってきた。
年齢と体力は反比例する。どこの家でも世代交代が進まない。私と同様、同じ顔ぶれが毎年一つずつ年を取るだけだ。
いつのころからか、「春日様をふもとに移そう」、あるいは「ふもとから拝むようにしよう」、そんな話が出るようになった。
やがて、それが3月に開く隣組=行政区の総会でも取り上げられるようになり、今年(2022年)、ついに議論が熟してひとつの結論に達した。
これまでのように集まって参拝し、直会をするのはやめる、その代わり4月第2日曜日を「春日神社参拝の日」と決めて、それぞれが参拝、代参、あるいは遥拝する――。ある人にいわせると、発展的解消だ。
いきなり今年から実施するわけにはいかない。集落の総意としてそうなったことを春日様に報告する、ということで、きのう、最後の参拝が行われた。
春日様を参拝するのは、牛小川の宝ともいうべきアカヤシオ(岩ツツジ)が見ごろな4月の日曜日、と決まっている。
その年の花芽の具合で初旬になったり、中旬になったりする。それが、来年からは固定される。今年はどうか。最後の春日様の祭りをことほぐように、アカヤシオは満開に近かった=写真上2。
さて、隣組の総会に出席すると、「直接民主主義」の実例がここにある、いつもそんな思いになる。
投票で賛否を決めるのではなく、全員が納得する結論を見いだすまで議論を尽くす。いわゆる、熟議。時間はかかるが、しこりは残らない。小さな集落が見いだした融和の知恵だろう。
アカヤシオが咲くと、谷間の家々は一気に春の色に染まる。庭のアセビやユキヤナギ、スイセンが満開になり、県道沿いのヤマザクラも咲き出す。土地の人がいう「五春」の世界のなかで最後の直会を楽しんだ。
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