在宅ワークに疲れたら、庭に出て花を眺める。今はエビネが咲いている=写真。チラッと目をやるだけでも心が洗われる。
もう20年以上も前のことだ。ホームセンターからポットに入ったエビネを買ってきて、花が終わったあとに庭に植えた。
ほっといても毎年増えていくだろうともくろんでのことだが、問屋はそんなに簡単には卸してくれなかった。
記録を見ると、13年前(2009年)には5株になり、そのあとはしばらく足踏み状態だったのが、一昨年あたりから増えてきて、今年(2022年)は11株になっていた。
というわけで、植物の生命力にはいつも感心するのだが……。人間はどうもそういうわけにはいかないらしい。
ある人が家の中で奇妙な行動をとるようになったと聞いて、前に読んだ本を思い出した。医師で作家の久坂部羊さんが書いた小説『老乱』(朝日新聞出版)。認知症を発症して亡くなる老父と息子夫婦を軸に、医師、孫、看護師たちとのやりとりが描かれる。
この小説の言わんとしているところは、認知症者を思いやる心、だろうか。ある家では息子の嫁さんがかいがいしく世話をしている。
「自分たちが若いころ、おじいちゃんにはずいぶん親切にしてもらったんです。いろんな面で助けられたし、支えになってもらいました。だから、今はその恩返しなんです」
そんな気持ちでやさしく接してくれるので、認知症者も「今の状態を壊さないようにしたいという本能が働く。お嫁さんを困らせる行動も自ずと減る(略)。認知症ですから、ゼロにはなりませんが、無意識にブレーキがかかる。だから、良好な関係になるのです」
認知症の話はともかく、体がいうことを聞かなくなった。先日は、茶の間から台所へ行くのに、間仕切りの柱に左足の小指を強打して出血した。爪も少しはがれた。
理由ははっきりしている。老化で弱くなった足腰が、コロナ禍の巣ごもりでさらに弱くなった。家の中にあるモノたちが思いもしない障害物に変わる。
去年(2021年)はそれで「家の中での転倒事故を防ぐこと」を年頭に誓った。階段で足をぶつけ、座布団のへりを踏みはずしてグラッとなったのがきっかけだ。
玄関のたたきから畳までは、段差が約33センチある。これも上がり降りがこたえるようになった。ここにブロックを並べ、マットを敷いて踏み台にしたら、ずいぶん楽になった。
足の衰えを感じるときに、いつもこんな比喩が頭をよぎる。肉体は赤ん坊としてこの世に現れ、絶頂期を過ぎると衰えて老人になる。最後はまた赤ん坊に戻って自然に還(かえ)る。
やはり、少しは散歩をしないと、ということなのだろう。コロナ禍をいいことに、一日中、座卓に張りついている。疲れたと思ったら、座椅子を倒して横になる。そのまま昼寝をすることもある。「在宅ワーク」といえば聞こえはいいが、実態は「在宅入院」のようなものだ。
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