2022年4月7日木曜日

瓦がやっと元に

        
 春になると庭へ出て歯を磨く。地面に目を凝らす。食材のミョウガタケが現れるのを待つ。生垣にからみつくヤブガラシの芽が出れば摘む。

 アシナガバチが飛んでいると、軒下に巣がないか確かめる。合間に空を仰ぐ。「あれっ、屋根の瓦がずれてる!」。そう気づいたのはいつだったか。

 2階の屋根の南端、グシ(棟)のすぐ下の瓦が半分ずれていた。それが3月16日深夜の地震(震源は福島県沖、いわきで震度5強と5弱)でさらにずれ、隣の瓦の上にのっかってしまった=写真上1。

 これはすぐ手を打たないと――。カミサンの実家(米屋)を継いだ義弟は、大学で建築を学んだ。住宅建設会社で働いたこともある。

 義弟が庭から屋根瓦の様子を見て、「日曜日(4月3日)の午後に修繕する」という。日曜日は夏井川渓谷の隠居で過ごす。隠居へ行く時間を早めて昼前には帰宅した。

 今から40年ほど前、2階を増築した。平屋の屋根の瓦も葺き替えた。11年前の東日本大震災では、その瓦が1枚割れた。気づいたのは7カ月後だった。ブログ(2011年11月2日付)を抜粋して当時の様子を振り返る。

――平屋から一部2階建てに増築したときの瓦屋さんが顔を見せた。大震災で傷んだ瓦屋根を修繕する仕事が一段落ついたのか、かつての顧客の家を回って状況を確かめているようだった。

「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、大切な住まいの静かなガンバリ屋、屋根。屋根のこと考えたことありますか。小さな悲鳴をあげているかもしれません。その声に気づいてあげて下さい」。連絡先の書かれたチラシを置いていった。

それから何日かあと、平屋部分の瓦が一枚割れているのに気づく。瓦屋さんに連絡すると、すぐやって来た。

離れの軒下に予備として同じ瓦が何枚か置いてあった。瓦屋さんは2階の物干し場から屋根に移ると、割れた瓦をはがし、上の瓦をすこし持ち上げて予備の瓦をはめ込んだ。わずか1分ほどの作業だ。

2階部分は、そこからではよくわからない。瓦屋さんはヘルメット、地下足袋、折り畳み式はしごを携えて物干し場に戻り、2階屋根の瓦をチェックした。瓦の損傷はなかった。ぐし(棟瓦)も無事だった――。

実家の庭にケヤキの大木がある。義弟は庭師よろしく枝を剪定する。そのときのいでたちで、助手を務める友達とやって来た。

ヘルメットだけではない。腰には安全ベルトに命綱。瓦屋さんより重装備だ。命綱は物干し場で友達が握っている。

 あとで義弟の話を聴き、ネットで調べてわかったのだが、グシ直下の瓦は、すき間に合わせて半分しかない。

ほかの瓦はしっかり固定されているものの、「半端瓦(はんぱがわら)」はモルタルで接着しているだけだ。強風でずれたのだろう、ということだった。

接着剤を注入して半端瓦を固定する=写真上2。作業そのものは簡単だが、準備が大変だ。人間が屋根に上がって元に戻せば終わり、などという簡単な話ではない。

 浜通り北部では、先の福島県沖地震で屋根瓦がだいぶ落下した。被災者も、工務店も必死になって復旧にあたっている――1枚の瓦からそんなことを思った。

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