2022年4月27日水曜日

黒海の南と北

                             
   米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)=写真=を読んでいたら、バルカン半島がらみでオスマン帝国の話が出てきた。

 「オスマン・トルコは、征服地域の住民に対して、人頭税さえ納めれば、本来の宗教や文化、習俗に従うことを認めていた。十字軍の蛮行に見られる、キリスト教やユダヤ教の異教徒に対する容赦ない弾圧や殺戮と較べると、はるかに大らかなのである」

 半島の東方に黒海がある。世界地図の中心を極東におく日本人には、黒海はなかなか視野には入ってこない。

それが、BS日テレで「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~4」(4月12日に第93話で終了)を見ているうちに変わった。ときどき黒海とトルコを中心にした地図が頭に浮かぶ。ドラマが伝えるオスマンの統治の仕方と米原万里の文章が重なる。

ドラマでは、16世紀、オスマン帝国の黄金時代を築いた皇帝スレイマンと、元キリスト教徒の奴隷身分から皇帝の寵愛(ちょうあい)を受け、やがて正式な后(きさき)となったヒュッレムを軸に、骨肉の後継争いと愛憎劇が展開された。

 ヒュッレムは黒海の北、ウクライナ西部の町で生まれた。クリミア・ハン国の襲撃に遭い、奴隷として黒海の南、オスマン帝国の首都イスタンブールに連れてこられた。

「魔性の女」、あるいは「西太后やマリー・アントワネットとならぶ悪女」と評されるが、ウクライナでは人気が高い。

 ロシアがウクライナに攻め込んだとき、真っ先に思い浮かんだのが、このヒュッレムだった。彼女の生まれた国が戦場になった――。

 ネットでロシアとトルコの「露土戦争」や専門家の論考を読むと、ロシアがウクライナにこだわるワケが類推できる。以下はその引用(要約)。

18世紀、ロシア帝国はオスマン帝国との戦争に勝ち、黒海北岸に不凍港を開く。さらに戦いを繰り返し、オデーサ(オデッサ)港を開港し、徐々に黒海の南へと領域を拡大する。

 一連の戦争の結果、肥沃な北部ステップ地帯はロシア最大の穀倉地帯になり、オデーサは穀物を輸出するロシアの南の玄関口になった。

 オデーサ港やロシア中央部から鉄道が延び、ドンバス地方の炭田や、クリヴォイログの鉄鉱石を基にして、製鉄をはじめとする工業化がウクライナ北東部で急速に進んだ――。

こうした歴史があるとしても、侵略の免罪符にはならない。それともう一つ。これはトルコの南方、地中海東岸のイスラエルがらみの話。

ロシアがウクライナに侵攻して以来、ウクライナだけでなくロシアからも逃れてくるユダヤ系の人々が後を絶たないという。ロシアでは侵攻と同時に、国内での締め付けがきつくなっている、という表れだろうか。

きのう(4月26日)のNHK「クローズアップ現代」では、一般のロシア人でも「プーチンの戦争」を恐れて国外移住が増えていることを伝えていた。

黒海の北で続いている戦争が早く終わるよう、黒海の南にあるトルコが仲介の労をとる――トルコのドラマになじんだ人間にはそんな期待が膨らむ。

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